『二重螺旋の恋人』については、現実か幻想かわからなくなる、その境目がはっきりしないというような感想があるのだけれど、たまたま二回見ることになったので、いろいろな発見があった。
冒頭は主人公クロエ/マリーネ・ヴァクトが産婦人科で検査を受けるところからはじまる。産婦人科の女性担当医の誤診で、お腹のなかの異物は精神的なものといわれ、精神分析医のポールを紹介してもらう。そこから妄想あるいは悪夢がはじまるように思われる。
ただ、どこからが現実で、どこからが幻想なのかは、ある程度わかるようになっている。担当の産婦人科医が、精神分析家のポールを紹介する。ネタバレ注意。
これは幻想、嘘である。なぜならポールは最初から彼女のボーイフレンドなので、わざわざ産婦人科医に紹介してもらうまでもなく、また精神分析医でもない。
実はこの産婦人科医の女性がクロエと現実とをつないだり切断したりする重要な要となる。クロエがこの産婦人科医の診断を受けることで、妄想がはじまるように思われる。
典型的なのは、クロエの胎内のエコー映像をみながら、担当医が何か異常をみつけたようにみえるところからはじまるシークエンス。担当医は彼女に何にも言わない。次の場面、彼女はベビー用品の店にいって品物をみている。つまり彼女は妊娠したと思った。いや思ったどころか、妊娠を当然のこととして、行動する。恋人(双子の)にもうちあける。どちらの子どもかわからないぞとワイルドな兄のほうが言う。だが妊娠は、彼女の思い込みである。以下ネタバレ注意
最後の場面で、この担当医が、彼女のお腹には腫瘍ができていたことを彼女の母親(ジャックリーヌ・ビセット)と、ポールに説明する。
この女性の産婦人科医、配役表にはこうある。
ドミニク・レイモンDominique Reymond 産婦人科医ならびにアニエス・ウェクズラーLa gynécologue et Agnès Wexler。
アニエス・エクスラー? そうこのアニエスは、クロエ/マリーヌ・ヴァクトが、ポールの双子の兄から診療を受けるために、口実として、カタログから適当に選んだ女性精神分析医の名前である。ポールの同僚でもあるらしいのだが、クロエは、彼女に会ったこともなく、夫の同業者たちのパーティの席上で、診療を受けているはずのアニエス・ウェクスラーのことを誰だといってまい、夫から不思議がられる場面がある。彼女にとって最も身近な(現実の)担当医が、カタログ上の名前・文字だけの存在となり、実際に出会っても顔をみたこともないから当人ともわからないというクロエにとって最も遠い(非現実)の人物になる。最も身近なものが最も遠いものになるという妄想。クロエにとってリアルが非現実となり、非現実の妄想が、リアルな体験となるという逆転が起こる。というか、その逆転によって妄想だとわかるような仕掛けが講じられている。
ドミニク・レイモンが一人二役になっていることが、クロエの経験のリアルさをうたがわせるものになっているといえようか。
ただ、ああ、最初にみたときは、西洋人の顔はみんな同じに見えるという昭和のおっさん・おばさん的見解によって、このことに気付かなかった。二番目にみたときも、すぐにはわからなかった。私にとって、三回見ないと映画のディテールに向き合えないようだ。(ちなみにクロエがサンドラに会いに行く場面があって、寝たきりになり憔悴しているサンドラに会うとき、サンドラの顔が一瞬クロエの顔になりクロエが怯えるような場面があったが、二回目にみて、サンドラの顔が一瞬ではあるが、はっきりとクロエの顔になることが確認できた)。
二回みても人からいわれるまで気づかなかったこと。それは美術館の展示スペースのシーン。以下ネタバレ、
この展示が彼女の妄想、とりわけ、その気色悪いオブジェが彼女の胎内の腫瘍と同じかたちをしていることからも、彼女が監視員のアルバイトをしているこの展覧会そのものが、妄想の存在であったことがわかる。
しかしそれだけでなく、彼女が、まだ何も展示されてなくて白い壁のままの展示室を歩くシーンがあるのだが、そのとき展示物はなくても黒い服を着用した監視員の男女が着席している。私は全然気づかなかったのだが、この監視員、椅子に座っているようで、椅子がない。監視員は座っている姿勢をしているだけで、座っていない。エアー椅子というか、エアー着席というか、あるいは宙に浮いているようにみえる。この空間はリアルではない。妄想空間であることがここからもわかるようになっているのだが、私のように気づかなければ、何の意味もないのだが、ただ、それ以外にも、妄想であることを伝える信号はいろいろ発せられているので、ひとつでも見過ごすと、すべてがわからなくなるということはないだろう。
ジョイス・キャロル・オーツが別名義で書いた原作は読んでいないのだが(また原作は翻訳されていない)、この映画から察するとミステリーの要素はふんだんにあって、原作はミステリーとして完結しているのではないかと思う。映画のほうは謎を妄想として説明しようとするところなの、謎は完全には解消されず、謎として残る者が多い。どうやなら、つまりこの映画そのものが、原作を飲み込んでいて、私たちがみるミステリーの要素は、呑み込まれた胎児の残骸であるということもできる。それを思うと、これは怖い。
追記
ネット上の評価で
「現実と妄想の2重螺旋の罠に嵌められた。/ある意味パラフィリアなミステリー、サスペンス/もう一回見たい、あと手塚治虫は天才やなと改めて思った」
というコメントがあって、なぜ手塚治虫なのかは、これだけでは謎。
ただ、これは、ある編集者から指摘されたことだが、ブラックジャックのピノコのことではないかと思われる。
ピノコについてWikipediaではこう説明している
誕生の経緯第12話『畸形嚢腫』(単行本第2巻)で初登場。資産家の娘である双子の姉の体のこぶ(奇形腫)の中に脳や手足、内臓等がばらばらに収まった状態で登場する。それまでもあちこちの病院で摘出手術を受けようとしたのだが、念力で手術道具を破壊したり、テレパシーで医師等を狂わせるといった超能力で手術を妨害するために手がつけられず、無免許医師であるブラック・ジャックの病院に運び込まれた。ブラック・ジャックに対しても妨害を仕掛けていたものの、「摘出しても培養液に入れて殺さない」と説得の上で麻酔をかけられた末、摘出される。その後、一人の女児として組み立てられた。この超能力は畸形嚢腫の時だけ発揮されており、その後は使う描写は全くない。この『畸形嚢腫』の回では、結末としてピノコが組み立てられた翌日に、ピノコが転院する患者である姉と初対面し、寝たままの姉を踏みつけて激昂する場面があり、ピノコが術後すぐに動けるようになったかのように描かれている。しかし、かなり後に描かれた第93話『水とあくたれ』では、組み立てられたまま全く動けないピノコの体を案じ、食事を離れた場所に置いて突き放すという数か月間のスパルタ教育でピノコにリハビリをさせていたことを語る場面があるため、設定に不整合が発生している。そのため、文庫版ではこのシーンは「姉が一年後の定期健診に来た時」と修正されている……
映画を見た人はわかるとおもうけれども、手塚治虫の[ブラックジャック』に登場するピノコには、この映画の世界を完全に先取りしている。ピノコはピノキオとつながっているのかというくらいしか認識がなかったのだが、この映画をみて、ピノコの設定と、その行動がはじめてわかった。あらためて手塚治虫は天才だと思う。