2018年08月06日

『ウィンド・リバー』

Wind riverはネイティヴ・アメリカンの保留地のひとつ。全米で何番目かの広さを誇る保留地とのことだが、予告編でみるかぎ、エリザベス・オルセン扮するFBIの女性捜査官が、雪深い辺境の山岳地帯で、地元の、日本風にいえば「マタギ」のジェレミー・レナーの協力のもと、反目し、喧嘩しながらも、捜査をすすめ犯人を逮捕するが、最初は互いに敵対していた二人も、最後には愛し合うようになっている、という物語を予想したが、全然、予想とちがっていて、もっとシリアスで、重い話だった。2015年第69回カンヌ国際映画祭での上映の際には8分間のスタンディング・オベイションがあったというが、当然のこととしてうなづける。

ジェレミー・レナーは、しぶくてかっこいいのだが、エリザベス・オルセンが、昔は、この映画で被害者になるような女性の役がけっこうあったように思うが、年令を重ねて、力強い女性捜査官の役をするようになったのはよかった。というかアメリカン・コミックのヒーロー、ヒロイン役を演ずるよりも(それをいうならジェレミー・レナーも同じだが)、こういう役のほうが、魅力を出せるような気がする(思い出したが、彼女はアメリカ版『ゴジラ』にも出ていた)。

映画が描こうとしているのは何か。いきなり大きな話で恐縮だが、それは最初の事件と、最後の解決との間に横たわる長い時間をいかに埋めるのかというか、その長いインターヴァルを埋めるメランコリーの時間。映画が描こうとしているのは。それだと考える。

メランコリーの時間と言っても、ほんとうに気の滅入るような物語や映像ではまずい。かといって変に美化するのもメランコリーの要素を希薄にする。激しい怒りや悲しみではない。もちろんそれが映画に向かないというような狭量な世界観を押し付けるつもりはない。激しい怒り、号泣するしかない悲しみ、大いにけっこう。問題は、そうした瞬間は長続きしない。後に残るのは、うっ積する怒り、泣くになけない悲哀、徐々に心をむしばむ悲しみ、あきらめが生まれるまで耐えること――そう、メランコリーの時間が到来する。不快すぎることなく、かとって退屈することなく、いかに観客に、このインターヴァルのメランコリーの時間を提供するか。そのメランコリーの時間に、いかに没入するか。没入できるようなメランコリーの時間をいかに構築するか。それがうまくできれば優れた映画となる。

『ウィンド・リヴァー』は、謎の事件の犯人を追う、サスペンスものであるのだが、同時に、それはネイティヴ・アメリカンの保留地においてけ行方不明になっても、ろくな捜査もされず、記録に残されないという、先住民差別プラス女性差別という二重の差別の告発ともなっている。

しかもこの告発は、声高な告発ではなく、どこの家族でも若い娘を失い、残された家族の悔恨と苦悩を、耐え続けるしかない先住民の悲哀を前面に出す。数年前にアカデミー賞をとった『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(これも地名がタイトルになっている)と似ている。『マンチェスター…』では、事故で家族を失った男の深い苦しみとメランコリーが雪景色を背景に描かれる。『ウィンド・リヴァー』でも、どの家族も、娘一人を失っているという、悲しみの、春なお雪深い、山岳地域を舞台としている。ただ、この悲しみには社会的差別が絡んでくる。ネイティヴ・アメリカンの保留地、棄民の地、忘れ去られた白い牢獄に固有の悲しみが。

この映画のなかでジェレミー・レナー不運するアメリカのまたぎ(猟師というよりは狙撃兵に近いのだが)が、運命を呪ったり、社会が悪いと感情を爆発させる前に、感情をコントロールせよと、若者に忠告する。これも悪くとれば、社会批判を封じ込め、自己責任論を展開して体制維持をする汚いレトリックといえば、それまでだが、同時に、犯罪が体制攪乱になると単純に信ずることもできない時代に私たちはいるのも確かで、犯罪は、体制側に統制と監視の口実を与えることになる。節度と忍耐をもって、悲惨と迫害を引き受けることが、そのまま強い差別批判、社会批判になることを信ずるほかはない。ほかの選択肢は、望ましい帰結につながらないようだから。

いいかえれば、メランコリーの時間を耐え続けること。そしてメランコリーの時間が、正当な社会批判によって終わりを告げること、それを希望とすること。そうでなければメランコリーは死に至る病でしかないということだ。

追記
1肺のなかまで凍って血を吐いて窒息死するという、ある意味、極寒の環境にいながら、人物たちの息が白くないのはおかしい。ただし、もしほんとうに寒くて呼気が白くけむるなら、タバコを吸ってもいないのにみんなタバコを吸っているような情景になって、うっとうしくなるから、それをやめたのだろうか。

2死因は窒息死だという医師。それでは殺人事件として応援を呼べないというFBIの捜査官。レイプされて極寒の荒野をさまよった女性に、死因が窒息で、自殺かもしれないので、事件性はあるかどうかわからないという地元の医師(正式な検視官ではない)と、いや事件にしてくれという女性捜査官、どちらもまちがっているのではないかと思ったが。

3雪の上の蜘蛛が動いている。これは大写しになるので、誰も見落とすはずはないのだ、雪の積もっている戸外に蜘蛛が生きているのだろうか。

4ジェレミー・レナーは何を手掛かりにして、トレーラーハウスのなかに危険人物がいると判断したのだろうか。私が単に見落としただけだとは思うのだが。

posted by ohashi at 18:18| 映画 | 更新情報をチェックする