『これはあなたのもの 1943-ウクライナ』
2017年に日本でも翻訳上演されてロアルド・ホフマンの『これはあなたのもの 1943-ウクライナ(Something That Belongs to You)』は、かくまわれたユダヤ人側からの視点というか回顧によって、正義の人問題に光を当てている。ロアルド・ホフマンは、母親との米国移住後、化学者となりノーベル化学を受賞したが、詩集を刊行し、さらに戯曲も3編創作していて、そのうち一編がみずからの経験に基づいて書かれたこの作品。(原作『これはあなたのもの―1943‐ウクライナ』川島慶子訳(アートデイズ、2017) )
鵜山仁演出、吉田栄作と八千草薫の親子(作者自身とその母親とを、この親子に重ねることができる)を軸に、過去と現在とが交錯するドラマだが、作者「ホフマンはソ連の支配下、ナチス・ドイツの支配下と激動するウクライナに生まれ、ホロコーストを生き延びた人間であり、その壮絶な経験がこの舞台には込められている」というようなコメントがネットではほとんどで、ここには歴史特殊的な、ユダヤ人をかくまった「諸国民の中の正義の人」をめぐるテーマがあることは、人形好きの演出家(鵜山仁のことです)から劇評家にいたるまで、多くの人たちに着目されることはなかったように思う。この「正義の人」の話は劇中に出てくる。ただし、戦後、かくまってもらったのに、どうしてイスラエル政府に推薦しなかったのかというような話の流れのなかで。
ウクライナでは、ユダヤ人をナチス・ドイツからかくまったのではない。ウクライナ人からもかくまった――ウクライナ人が。そしてユダヤ人とウクライナ人との根深い対立から、ウクライナ人にかくまってもらったユダヤ人一家も、単純に、ウクライナ人に感謝することはできない――う~ん、ウクライナ人、それまでユダヤ人迫害しすぎ。つまりウクライナ人すべてがネトウヨのヘイト集団というわけではなく、ユダヤ人(おそらくは昔から知り合いの)をかくまう家族もいたわけだが、アメリカ亡命後、主人公(吉田栄作)の母親は、ウクライナ人を一貫して人殺しと呼び続けている(八千草薫の役とは思えないほど、ウクライナ人に対してはかたくなでありつづける老いた母親がいるのだ)。実際、ユダヤ人をかくまったウクライナ人は、ユダヤ人のもっている財産めあてだったというふうにも語られる。
劇そのものは、過去の悲惨と不幸を、現在にどう伝え、それをどう乗り越え、そして和解点を見出すかというのがテーマだと思うし、ユダヤ人迫害の嵐が吹き荒れるなか、ナチス・ドイツからもウクライナイ人からも、ロシアの共産主義者からも、ユダヤ人をかくまった少数のウクライナ人がいたことは、和解と未来への希望とをうむ重要な契機と思わるのだが、かくまわれたユダヤ人家族は、複雑な事情もあるのだが、ウクライナ人を嫌悪し、ウクライナ人に恩を感じもいないようなのだ。ああ、「和解なし」。
「諸国民の中の正義の人」問題において、かくまったり助けた人間がいたからといって、加害者側の罪が消せたり、加害者側を擁護したりはできないことは、何度繰り返しても繰り返したりないのだが、それはまた、「正義の人」も、加害者側の集団に、出自、国籍、民族性などでつながっているとすれば、どんなに助けても、加害者側とみられてしまう、つまりは加害者側として断罪されてしまう可能性が高い。
このことはつらい。迫害されている人たちを助けた、かくまった、だから、政権や安部応援団やネトウヨらの正義の仮面をはいでやった、彼らから裏切り者の汚名を着させられようとも、彼らファシストの、いかようにも弁護できない残虐性を、歴史において証明するのだと、うぬぼれている場合ではない。気が付くと、助けた人たちからも、結局、くそ日本人、人殺しの日本人、安部応援団と同じとみられているかもしれないのだ。必要なのは、素朴な善意ではない。それだけでは十分ではない。関東大震災のときに虐殺された朝鮮人を追悼すらしなかった小池真理子と私は人間の出来が根本的に異なるのだから(第一、私は学歴詐称はしていないぞ)。彼らとは異なるのでなければいけないという強い意志も必要なのである。金目当てでかくまったと思われないためにも。
2018年08月01日
正義の人 4『これはあなたのもの』
posted by ohashi at 11:18| エッセイ
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