2016年12月18日

真田幸村、実物は歯抜け、白髪説の嘘

真田幸村、実物は歯抜け・白髪説…


以下は朝日新聞の201627日の記事(執筆 神庭亮介)だが、べつにこの記事が問題ということではなく、こういう記事がネット上にあふれている。つまり真田幸村が、実は、歯抜けで白髪であったというわけだが、愚かさもここに極まれりというほかはない。


ただし以下の記事は、戦国武将のイケメン化というテーマなので、それに関しては、ここではとくに問題にしない。


戦国武将のイケメン化が止まらない。たとえば、NHK大河ドラマ「真田丸」で話題沸騰中の真田幸村。小柄な体格で、大坂の陣の時には歯が抜け、白髪交じりだったとされる。それなのに、ゲームやマンガではキラキラの美少年に。一体なぜなのか。


戦国武将たちが戦いを繰り広げる、アクションゲーム「戦国BASARA」。2005年の第1作以来、28の関連作品が発売され、累計売り上げは380万本を超える(昨年9月現在)。歴女ブームの立役者とも言われ、イベントや舞台には女性ファンがあふれる。

中略

史実によれば、大坂の陣で豊臣軍についた幸村は、大阪城に築いた出城「真田丸」で奮戦。夏の陣では、徳川家康の本陣に切り込み、一時は家康に自害を覚悟させるほどまで追い詰めたとされる。その雄姿は、敵方からも「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」とたたえられた。


そんな幸村も、大坂の陣以前、和歌山・九度山での蟄居(ちっきょ)時代には、老境にさしかかった我が身を憂うような手紙を残している。

 「去年よりにわかに年より、ことのほか病者になり申し候、歯なども抜け申し候、ひげなども黒きはあまりこれなく候」。病気がちになり、歯が抜け、ひげの白髪も増えた、という内容である。

以下略。


この手紙は、真田幸村が九度山での隠遁生活を送っていた頃、義兄にあたる小山田茂誠(幸村の姉・村松殿の婿)に宛てた書状のことらしい。慶長17年(1612年)のこと。


この手紙が、本物だとする。では、ここに書いてあることは真実なのか。真実かどうかをどうやって決めるのか? こんなことは子どもでもわかりそうなことだ。


九度山で監視されているなか、信繁/幸村が、私は元気いっぱいで、徳川家康に一泡ふかせてやれるほど、気力・知力ともに充実していると、手紙を書くとでも思っているのだろうか。手紙のあて先は、身内とはいっても、秘密を打ち明けられるほどの親密な仲ではないだろう。たとえ、どれほど親密な関係にあっても、手紙は読まれる可能性もあるから、あぶないことは書けないだろう。また、たとえ自分しか読まない日記の類でも、監視されている立場なら、読まれてしまう可能性もあるから、本当のことは書かないだろう。


したがって信繁/幸村の手紙は、当然、敵をあざむくための嘘であるみるべきだろう。九度山に閉じ込められていて、手紙に、ほんとうのことを書くなどという、愚かなことを、天下の知将、信繁/幸村がするだろうか。


もちろん、その手紙そのものではなく、手紙の内容が、嘘だという絶対確実な証拠はない。しかし、真実であるという絶対確実な証拠もないのであって、真相はわからないままだ。それを幸村は歯抜けで白髪頭であったことを歴史の真実であるかのように信じてしまうナイーヴさは、いったい何だろう。はっきりいってバカかと言ってやりたい。


しかし、こんなことは私でなくても、誰もが考えることであって、私よりももっと頭のいい人間は、もっとスマートに、この手紙の嘘(くりかえすが、の手紙の存在自体が嘘というのではなく、内容が嘘である可能性も、真実である可能性と同じくらい高いということ)を指摘するだろう。


そうした人間の一人が、三谷幸喜であって、『真田丸』のなかで、九度山を抜け出し、大阪城に登城するときの信繁/幸村は、歯抜け、白髪の老人に変装するのである。なぜ変装するのか、明確な説明はなかったような気がするが、まあ変装して敵の目をあざむくためだろう。そしてこの変装こそ、三谷幸喜の脚本が、この手紙を意識している証左である。そう、三谷は、手紙が敵をあざむく嘘かもしれませんよと、この信繁/幸村の変装を通して、けっこう挑発的なかたちで、ほのめかしているのである。


もっとも三谷脚本のこのほのめかしを、全く理解していない番組をNHKは放送していた。昼間の番組だったと思うが、例の手紙を、発見した経緯、そして当時の状況を、歴史家へのインタヴューを通して浮かび上がらせていた。NHKの番組のコンセプトとしては、信繁/幸村の手紙から、本人が歯抜け・白髪の老人だとわかるのだが、あまたの時代小説や時代劇では、幸村は、そのような老人として描かれていない。史実と虚構のギャップがここにあるということ、それを指摘したかったのかもしれない(『真田丸』人気に水をさすような番組を他局ではなく、よりにもよってNHKがつくっているのだ!)。


しかしNHKである以上、当然、『真田丸』について触れることになる。しかも歯抜け・白髪の老人に変装して大阪城に登城する場面がすでに放映されている。


この場面の映像を、あらめて示す以上、その番組のしめくくるとして、NHKのアナウンサーがいうべきことは、「歯抜け・白髪の老人であると自分のことを語る幸村の手紙も、この『真田丸』の場面が暗示しているように、敵をあざむくための幸村の嘘・策略であったのかもしれません」ということにつきる。


それで問題ないように思うのだが、実際のアナウンサーのコメントは、歴史的事実と、ドラマとのちがいがどうのこうのと、うだうだと、歯切れの悪いものだった。バカかといってやりたい。あるいは、史実=真実、ドラマ=嘘という番組作りのコンセプトが、三谷の脚本で破綻させられたのだが、その後始末を、番組制作者から、押し付けられたアナウンサーに同情すべきかもしれない。とはいえ、実際の映像からみるかぎり、アナウンサーは、三谷は『真田丸』で、どうしてこういう変装の場面をつくったのでしょうかと、まったく不思議でならないとうい表情をしていたのだが。やはりバカだ。

posted by ohashi at 22:23| エッセイ | 更新情報をチェックする

『戦争と平和』

私よりの年配のご婦人と話すことがあって、そのとき、私たちの子どもの頃は、文学全集がブームで、毎月配本される一冊を、とにかくその月に読み切って、全集全部揃えた時点で全集の全巻を読んでいるということが、子どもの頃(といっても中学生以上だが)の夢であり、またそれは、多くの人間が、夢に終わらせずに実行したことだった。


まあ日本文学の全集というのは、分量にもよるがこれはけっこうむつかしい。たとえ明治期以後のものであっても、古い日本語は、とくに知識のない子どもには読めなかったからだ。それに比べ、外国文学の翻訳は、日本語のレベルでは、一様に、現在の日本語になっていて、面白かつまらないかの差はあっても、読めないものではなかった。今の私があるのも、子どもの頃の、外国文学の文学全集のおかげである。


では、どの国の文学に熱中したかという話になって、それには、意見が一致した。ロシア文学とフランス文学である。どちらも世界文学の華そのものだった。イギリス文学は、地味で田舎臭かった。アメリカ文学はアメリカンだった。で、ロシア文学となれば、ドストエフスキーにトルストイだった。トルストイには熱中したという話になって、『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』のどれがよかったかについても、『戦争と平和』で意見が一致した。『アンナ・カレーニナ』は、中学生のクソガキだった私にとっては、中年のおばさんの不倫話で、そんなに面白いものではなかった(実際にはアンナは子どもがいても、まだ29歳くらいで、フェリシティ・ジョーンズよりも若いということに、当時は、まったく気づかなかったのだ)。いまからみれば『アンナ・カレーニナ』が一番におもしろい小説と思うだろうが、当時は、クソガキだったのだ、この私は。


『アンナ・カレーニナ』や『復活』については、いつか語れる機会があると思うので、今回は『戦争と平和』について。


ナポレオンに率いられえたフランス軍がロシアに侵略、モスクワまで到来したものの、冬の悪天候と寒さに悩まされたあげく、ロシアから撤退するまでを描く、大長編小説である。登場人物も多いのだが、読んでいくと、登場人物の名前をすべて覚えてしまうのは、まさに作品の力だろう。描き込みがはんぱではないからだ。


最初のクライマックスは、オーストリア皇帝軍とロシア皇帝軍とがナポレオンのフランス皇帝軍と戦い、オーストリア・ロシア軍が撃退されるアウステルリッツの三帝会戦であるが、しかし、やがて、フランス軍がロシアを侵略にするにつれ、アウステルリッツ以上の熾烈な戦いが展開していく。


そのなかでさまざまな人間模様が描かれていくのだが、史実を検討してゆく作者の記述もだんだんと熱を帯びていき、それが頂点に達するのが、ボロジノの戦いである。『戦争と平和』のなかでもクライマックスとなるこのボロジノの戦いは、作者は、物語を語るだけでなく、戦況を分析し、作戦を評価し、歴史的回顧のなかで戦争の実相を浮かびあがらせようとする。人物たちの去就は、おかまいなしに、地図が示され、作戦の分析が克明になされていく。


もちろん中学生のときに読んだ記憶をたどっているので、記録というよりも幻覚にちかいものかもしれないが、ナポレオン戦争において、ボロジノの戦いがいかに重要であったかということは、あるいは、トルストイが重要だと考えていたことは、しっかり受け止めたと思う。幻想でも幻覚でも遮蔽記憶でもなく。


トルストイ経由で知ったボロジノの戦いとは、それまで連戦連勝のナポレオン軍が、ロシア侵略の途上で、はじめて頑強な抵抗に出会った戦いだった。結果的にロシア軍は敗退して、モスクワをあけわたすことになるのだが、このときロシア軍は、ナポレオン軍に致命的な損害を与えていた。そしてその傷はすぐには気づかれなくとも、冬のロシアを敗走するナポレンがついにフランスで退位するに及んで、致命傷の大きさが明らかになる。


ロシアの宮廷あるいはロシアの貴族の館では、当時、フランス語が話されていて、フランス軍は侵略軍というよりも友軍のようなものである。したがってフランス軍に立ち向かい、おびただしい犠牲を出しながらも、最後には追撃に転じたロシア軍の中核はロシアの民衆なのである。ロシア民衆のナショナリズムの覚醒と自由を希求する民衆の戦いが、フランスの帝国主義を最後に倒したのである。だから、ボロジノの戦いは、敗退したとはいえ、究極的に、ロシア軍が勝利していた、そのことは、ロシア軍の総司令官クツーゾフ将軍は知っていた(トルストイは、クツーゾフをロシア貴族というのりも、ロシア農民の魂の権化のようにみている)。


もちろんナポレオン戦争によって覚醒したのは、ロシア・ナショナリズムだけではない。帝政の専制あるいは帝国主義に対して自由を求めて戦う自由主義革命思想もまた貴族たち支配層にひろがっていく。こうして『戦争と平和』は、ナポレオン戦争が終わり、平和を取り戻したロシア社会が、いまひとつの戦いをはじめる、まさに、その直前で終わる。


『戦争と平和』の終わりは、デカブリストの乱の直前の時代である。デカブリストの乱は、ロシアの皇帝専制と農奴解放を要求した、貴族の将校たちを中心とする革命運動であり、武装蜂起したものの、皇帝軍によって弾圧され、関係者が多く処刑された。ロシア文学ではプーシキンがこの時処刑されている。


『戦争と平和』のなかで、ナポレオン戦争を生き延びた登場人物たちの多くは、これから起こるであろう、このデカブリストの乱に参加することが予見される。ナポレオンの帝国主義との戦いは勝利のもとに終わったのだが、つぎにはロシア帝政との闘争が待っている。ナポレオン戦争がロシアにもたらした自由を希求する熱い思いは、いま、まさに帝政との対決を迎えようとしているのである。


もちろん『戦争と平和』の作者も読者も、デカブリストの乱の結果を知っている。ナポレオン戦争に勝利した人物たちは、すべて、デカブリストの乱で死んでいくことだろう。ロシアに萌した革命運動は、生まれてすぐに、残酷な終焉を迎えたことを、作者も読者も知っている。そして『戦争と平和』が出版されたころ、ロシア帝政が終わることなく続いていることを、作者も読者も知っている。


だがボロジノの戦いを思い出せ。ナポレオン軍に負けたロシア軍、モスクワをもあけわたす屈辱的な敗北を喫したロシア軍であったが、その戦いで、1日で死んだ数万人の兵士たち、その戦いで犠牲になった者たちは、その死を通して、ナポレオン軍に、じわじわと効き始める致命傷を確実に与えていたのだ。


希望は消えることはない。デカブリストたちは、敗れたとはいえ、屈辱的な敗北を喫したとはいえ、ロシア帝政に確実に致命傷をあたえていたはずである。ロシア帝政は、いまなおゆるぎなく存続しつづける。だが、帝国主義は、いつか必ず崩壊する。デカブリストたちの蒔いた希望の種は、あるいは彼らが、その死によって加えた致命傷は、いつかかならず帝政を、帝国主義を倒すことだろう。ボロジノの戦いを忘れるな。希望は死ななない。それがトルストイが『戦争と平和』に込めたメッセージである。


『ローグ・ワン』をみて、そんなことを思い出した。We have hope.Rebellions are built on hope.


posted by ohashi at 18:30| エッセイ | 更新情報をチェックする