2016年12月02日

『胸さわぎのシチリア』

A Bigger Splash (2015)


映画館でみたときは、結局、なんとつまらない映画かとあきれた。みていて、だんだん腹がたってきた。天気がよいのにどしゃぶりの雨。雨のシーンは、大雨でなくても、せめて曇り空のときに撮れ。晴天のときに撮るなとか、映画の終わりの方ではかなりいらついていた。


主人公の設定だが、彼女は声がでない。大物ロック女性歌手(ティルダ・スウィントン)の彼女は、声をつかすぎて、声帯をいため、ほんとうに小声でしか話せない。またむしろ話さないほうがいよいとされている。これではコミュニケーションできないし、映画の最後まで声が出ない彼女に対して、最後には、怒りがこみ上げてきた。こんな設定にするなよと、監督に対して憤慨した。


しかも場所はシチリア島。イタリア語がよくわらない。イギリス人と地元イタリア人との間に意思疎通ができていない。これもいらいらする原因となる。またシチリア島は、基本的に、乾燥した地域なのだろう、最初の方は、風景もかすんでいて、砂っぽく、またほこりっぽい。観光映画にするつもりもないような、くすんだ映像がつづく(シチリアのグルメ映画的な展開もないわけではないが)。


ティルダ・スウィントン、ダコタ・ジョンソン、レイフ・ファインズ、マティアス・スーナールツポールの四人の映画だが、マティアス・スナールツポールについては、『君と歩く世界』を代表作として紹介する映画会社の情報の古さにあきれる。彼は、『フランス組曲』『リリーのすべて』『パーフェクト・ルーム』に出ているし、いずれも『君と歩く世界』にくらべると、はるかに良い映画だ。


またレイフ・ファインズについてはLTライブのバーナード・ショー『人と超人』で、彼の超絶演技をみたあとなので、同じテンションの高さで登場するのは、まさに映画が、『人と超人』の続編に思えてきて、期待は高まったのだが、この映画で、印象深かったのは、レイフ・ファインズの演技というよりも、レイフ・ファインズのチンポコ、ペニスでしかなかった。


そう、この4人の俳優たちは、映画のどこかで、その裸体だけでなく、性器を丸出しにしている。なかでもレイフ・ファインズ、素っ裸になりすぎだし、チンポコみせすぎ。だがほかの三人も、しっかり性器をみせている。もしこの映画の売りがあるのなら、それでしょう。残念ながら日本の映画館では、誰のペニスもヴァギナも見えないのだが、海外版のDVD、ブルーレイならしっかり見えるはずである。日本の映画館とか日本版DVDではぼかしが入っている。とはいえDVDを海外に注文したわけではないが。


結局、途中から、男女関係がめんどくさくなるのだが、まあ、なるようにしかならないだろうし、その間、シチリアでもホリデイを楽しむイギリス人の話となって、基本的ゆるい展開しかしないだろう、だから、こちらも、脱力的な観光ホリデイ映画としてでもみていればいいかと思ったが、思わぬ展開があり、その思わぬ展開が、急展開になるかと思うと、そうでもなく、ぐだぐだになり、なんだ、あの終わり方かということにもなって、やっぱりダコタ・ジョンソンが出演すると、『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』みたいに失敗作になるんだと、映画が終わる前に、すでに完全に彼女に八つ当たり状態になっていた。


しかし、実は、気になることはあった。誰かが、この映画について、斬新な解釈をする可能性は、なさそうだけれども、否定できない。もしそうなったら、私が恥ずかし思いをするだろう。解釈ができなかったふがいなさを恥じながら。


もうひとつ、この映画が、特定の古典的あるいは著名な小説とか映画を踏まえているのではないか。パロディではなくても、アダプテーションというか翻案かもしれないという可能性は、あると思った。あるいはもしかしたら現実の、有名な事件を踏まえているのかもしれないとも思った。


斬新な解釈、アダプテーション(リメイクもふくむ)、実話物であったなら、この映画の評価はかわる。逆に、一方的に否定的な解釈をした私が恥をかくだけである。そのためちょっと調べてみた。


なるほど、予備知識をもって映画を見るべきだったと、今回は反省した。フランス映画『太陽が知っている』(アラン・ドロン、モーリス・ロネ、マリア・シュナイダー、ジェイン・バーキン出演、ジャック・ドレー監督1969)のリメイクだった。リメイクでもあるが、アダプテーションといってもいいだろう。人間関係は同じだが、場所をはじめとして、設定が違っている。『太陽が知っている』という日本語タイトルは、アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』から連想してつけたのだろうが、原題は「スイミング・プール」――えっ、それってぴったりのタイトルでは。


『太陽が知っている』は、タイトルに記憶がある。見たことがあるような気もするが、結局、内容は忘れていたので、見たことはないとしかいいようがない。正直いって、『胸騒ぎのシチリア』は、見直すつもりはないが(海外版DVDを購入するつもりもないが)、『太陽が知っている』はみてみて、比較したい。


アダプテーション研究のよさは、どちらかいっぽうが駄作でも、比較対照による化学変化で、ふたつの作品が、それまで気づかなかった輝きを帯びることである。思えば、古いカップルと新しいカップルのせめぎあいという『太陽が知っている』/『胸騒ぎのシチリア』の世界は、旧作と新作とのせめぎあいという、アダプテーション関係のダイナミズムを作品内で反映されることを予期していた、あるいは、反映していたのかもしれない。とはいえ『胸騒ぎ』のほうがBigger Splashとは思わないけれども。

posted by ohashi at 21:30| 映画 | 更新情報をチェックする