Remember 2016
アトム・エゴヤン監督の『手紙は憶えている』は、日本語のタイトルだけがひどいことをのぞけば期待を裏切らない、素晴らしい映画である。原題はRemember。
ちなみに新宿の角川シネマでみたときは、狭い映画館(5Fつまり受付の上の階のスクリーン)は、満席で、空気もよどんでいて、以前、パニック症候群だった私は、発作がおこりそうになって困った。閉所にたくさんの人間と閉じ込められると、自分が窒息するのではないかと過呼吸になる。やばい、醜態をさらしそうだと、思いつつ、また同時に、空気の希薄さは気のせいなので、なんとか自分を落ち着かせようとしたら、エアコンも効いてきて、新鮮な空気が供給されたように思われたので(気のせいかもしれないが)、あとは安心して映画に集中できた。
予告編でみたときに、こんなオチではないかと予想したが、予想は、半分だけであたっていた。残り半分は、予想外だったので、そのぶん。先が読めなくて、最後まで緊張してみることができた。アトム・エゴヤンのタッチがもどった(とはいえ前作『白い恐怖』も、じゅうぶんに面白かったが)。
今回はホロコースト物と老人がカギとなるテーマとなる。そして記憶あるいは捏造記憶。主役のクリストファー・プラマーの名から今でも『サウンド・オブ・ミュージック』のトラップ大佐としてしか記憶していない人がいるが、これまでに数多くの映画に出ている俳優に対して、これは記憶喪失あるいは捏造記憶に近い。とはいえ今回の映画から『サウンド・オブ・ミュージック』のプラマーを思い浮かべるのは、あながちまちがいではないかもしれない。ナチ、ホロコースト物でもあるので。
あと、アメリカでは銃が簡単に買えるため、90歳の主人公も免許証(ただし、もう車は運転しないようだが)で購入する。しかし本人アルツハイマー病なので、そんな老人に銃を持たせていいのかと誰もが思う。しかも、映画のなかで、購入した銃を発砲するシチュエーションが出てくるのだが、それなど、アメリカ銃社会の危険性を痛感する(トランプ大統領になって銃規制はすすまないと思うので)。
と同時に、主人公は、銃を発砲しても、近距離ということもあるが、目標に当てることができる。これは銃社会における老人の銃使用ということ以外にも作品において意味をもつことになるのだが(それにしても、オーストリア製の拳銃であるグロック。ずいぶん普及したものだ。日本でモデルガンがはやっていたころ(いまのモデルガンは、ガスでBB弾を打つ、コンバット・ゲームで使うもの。内部構造も再現していた昔のモデルガンとは異なる)、グロックなど知っている人も少なかったし、アメリカの警察などで採用されてもいなかった)。
この映画ではアメリカやカナダに潜伏しているアウシュビッツの元ブロック長を捜す話しなのだが、当然、捜すほうも捜されるほうも老人である。Countries for Old Men. 捜すほうも記憶喪失と不自由な体で旅をするのだが、捜されるほうも、部屋にこもりっきりの老人だったり、病院に寝たきりの老人だったりと、老人たちのオンパレード。そして老人が老人を探す。主人公のハンディキャップは、映画『シチリア』では声が出ない、映画『ガールズ・オン・トレイン』ではアルコール依存症による記憶喪失、そして、この映画では老齢と記憶喪失。回復不能のハンディはつらい。
みているほうも、老人が誰だかわからない。税所のほうで、元アフリカ軍団にいて戦後から現在にいたるまでアメリカで暮らしているドイツ人の老人の顔をみていたら、しばらくして、あ、ブルーノ・ガンツだ、と、思わず声が出そうになった。年取りすぎていて、わからなかったわい。
しかし、これはわかっただけいいほうで、主人公の友人であるマックスが、マーティン・ランドーだとは、最後までわからなかった(若い人は知らないと思うが、マーティン・ランドーは日本では連続テレビドラマ『スパイ大作戦』(現在トム・クルーズ主演でシリーズ化されている『ミッション・インポッシブル』の往年のテレビ・ドラマ版)やSF映画『スペース1999』でほんとうになじみの俳優だった。今回は85歳くらいになっているので、まったくわからず)。
以下ネタバレ注意Warning: Spoiler (予告編をみていたらだいたい予想がついたオチ)
予想外の展開と意外な結末ということを目指したなら、こういう形になるしかないと思えるのだが、しかし、この結末には、もしかしたら、作者も、映画製作者側も、予期しなかった重要な意味があるのではないか。それは加害者が被害者を装っていることである。意図的にあるいは、もしかして無意識のうちに。
そしてこのことは加害者としてのナチスはひどい(そのことの記憶も薄れている)、しかも同時に、現在にいるネオナチ的・ユダヤ人差別主義者もひどいが、彼らを追跡して殺そうとする側も、ある意味、加害者であることはまちがいない。元ナチス狩りのなかで、結局、無関係な人間を殺すことにもなるのだから。
そしてまた、大きく考えれば、イスラエルは、被害者であったユダヤ人がつくった国だが、同時に建国後のイスラエルは、パレスチナ人や近隣諸国のアラブ人に対する攻撃によって、ならず者的加害者となっている現実も忘れてはいけない。いやそれだけではない。トランプの支持層(最近、アメリカにできた「キリスト国」の住民たち)は、自分たちが被害者であると思い込んでいる加害者である。あるいは加害者であったのに、そのことを隠して被害者になりおおせている悪人たちか、耄碌して記憶喪失した老人的人間たちである。
おまえたちは、被害者なんかではない。加害者であること。自分が加害者であることを思い出せ。これがこの映画の、「ホロコーストを忘れるな」「ホロコーストを風化させるな」という、これも重要なメッセージであるが、それと表裏一体化した、メッセージであろう。意図的なら、これはすごいことだが、おそらくは、このメッセージは、予期せぬかたちで、生まれてくるのだろう。現代では、ほんとうに被害者を装う加害者が多すぎるのだから。
追記
映画のなかでクリストファー・プラマーがピアノを弾くシーンが出てくる。この人のピアニストの演技は、素晴らしい。まるでほんとうにピアノを弾いているようだったと思ったが、調べるとプラマー、映画俳優になる前はピアニストを目指していたとのこと。映画のなかのピアノのシーンも、全部、自分でピアノを弾いているとのことだった。