前期の文学史の授業で、NTライブで放映されるから、まためったに上演されないから見ておくように、見ておいて損はないからと学生に伝えたくせに、自分が見そびれてしまったいたのだが、ようやく見ることができた。3時間40分の長い録画だったが、飽きさせない。そもそも、バーナード・ショウの『人と超人』が、こんな面白いラブコメだったとは、驚きとしかいいようがない。昔、読んだきりで、読みなおしたこともなく、今回、あらためて読もうと思って、時間がないため作品を読まずに映画館に。しかし、うろ覚えながら、こんなに面白くはなかったはずだ。あらためて作品を読み返してみたくなった。
とはいえ面白いことはいいことで、笑い声は、スクリーンのなかだけではなく、映画館の客席からも起こっていたので、爆笑喜劇であったことはまちがいない。『ハードプロブレム』ではスクリーンのなかで笑い声が起きていたが、何がおもしろいのかまったくわからなかったのだが、この『人と超人』は、ふつうにおかしかった。
もちろん今回の上演はレイフ・ファインズの演技が素晴らしいことに尽きるのだが、あれだけの量のセリフをまくしたてても、息ひとつ切れず、汗もまったくかいていない。ふつうだったら、あれだけしゃべったら、汗びっしょりになってもおかしくないのだが、アップになってもほんとうに汗をかいていない。感心するしかない。
そしてバーンード・ショウのこの作品は、実質的にはじめて読み、また見たといってもいいので、あらためてその現代性に感銘をうけた。ラブコメで終始してもよかったのだが、けっこうシュールな展開になるこの劇は、現代日本の劇作家が書いていても、まったく違和感がない。夢の場面をいれることで、風刺性と思想性を一挙に増殖させた手腕には、圧倒される。
また当然といえば当然なのだが、やはり地獄の場面(地獄に落ちたドン・ファンが、ルシファーや恋人の女性、その父親と対話する)で、長すぎて、それだけで上演されたり、それを飛ばして上演されたりと、いわくつきものだったが、今回も少し切り詰めての上演だったが、これをみることができたのは貴重。しかも、ショウのLifeあるいはLife forceをめぐる思想は面白くて、聞くに値する。そして退屈な天国ではなく、刺激的で楽しい悦楽の園でもある地獄の風刺性には圧倒される。そして作者自身が、やや自嘲気味ながらも、ドン・ファンに自分の思想を語らせる仕掛けも、随所に爆笑ネタを挟んでいて、まったく飽きさせない。それどころか、もう終わってしまうのかと、名残り惜しさも感じたくらいなのだ。
夢の場面が終わっても、さらに一芝居続くわけで、互いに惹かれあい、愛し合っているにもかかわらず、絶対に、そのことを認めいない二人が、強制的に結婚させられるという不幸な恋人たちを真剣に心から演じながら、最後には結ばれるという不幸な幸福な結末を迎える。とはいえ、この部分、シェイクスピアの『空騒ぎ』のベネディックとベアトリスのかけあいのようで(実際、喜志氏(後述)の指摘どおりだ)、ケンカしながら惹かれあうというラブコメ定番の展開をみえるのだが、インフェルノ(最初は「ヘル」といっていたが、途中から「インフェルノ」)の場面のほうが面白かった。
なお幕間に演出をしたサイモン・ゴドウィンへのインタヴューがあったが、次回作はファーカーのThe Beaux' Stratagemとのこと。もうすでに上演されたのだろうか、NTライブで上映してくれるとありがたいのだが(ジョージ・ファーカーというのはなじみのない劇作家かもしれないが17世紀後半から18世紀後半の王政復古演劇の作家。The Recruting Officerが代表作だが、この作品はブレヒトが翻案していて、それは、亡き岩淵達治氏による個人訳のブレヒト全集にも収録されている)。
Last and least
パンフレットには喜志哲雄氏が解説的一文を寄せていて、的確で精細にとみ、また誰にとっても有益な情報もふくまれ、さすがに優れた文章家である氏の面目躍如たるものがあると感心したのだが、最後に、「この劇の面白さはつまるところ台詞の面白さだ。どれほど深刻な主題や思想を含んでいても、台詞が面白くない芝居を私は認めない」と結ばれる。
別に異論はない。思想と台詞の面白さはとは、基本的支えあっているものであり、思想だけ深刻でも台詞の面白さがともなわなければ、その思想自体、観客に伝わらないだろうし、そもそも思想は言葉つまり台詞を通してしか伝えられないものだから、その言葉/台詞に魅力がなければ、思想そのものの退屈なものなのだ。と同時に、いくら台詞が面白くても思想性がゼロならば、それはむなしい。もっとも喜志先生は、思想性などくそくらえで、台詞が面白ければ、それでいいのだと思っているふしがある。実際には思想性のない台詞ほどつまらないものはないのだが。まあ、それはいい。問題は、「台詞が面白くない芝居を私は認めない」とある。「認めない」? いったい、おまえは何様なのだ。あんたに認められなくても、誰も、こまったりしないぞ。いったい、自分は演劇の神様だとでも思っているのか。耄碌しているのではないか。絶対に車を運転するなよ。こんな自己顕示欲と自己権威化に浸っているような人間の書くものを、私は読むに値する文章として「認めない」。