『ニュースの真相』
Truthこの映画については以下のような紹介文がある:
2004年、伝説のジャーナリストのダン・ラザーがアンカーマン(メインキャスター)を務める「60ミニッツII」で再選を目指すブッシュ大統領の軍歴詐称疑惑が報じられた。アメリカ・CBSニュースのベテランプロデューサーであるメアリー・メイプスは確固たる証拠の基、真実を報道したつもりだった……しかし、「新証拠」を保守派のブロガーが「偽造」と断じたことから、CBSは激しい非難を浴びる。同業他社の批判報道もとどまるところを知らず、ついに上層部は事態の収束を図り、内部調査委員会の設置を決定。そのメンバーにはブッシュに近い有力者も含まれていた。
「ブッシュに近い有力者」というのは、全員共和党の支持者・関係者で占められているので、第三者委員会などではまったくない。もちろん同じことは日本でもいえるのだが。
あるいはこんなコメントもネット上にはある:
選挙期間中、民主党寄りで知られるCBSのCBSイブニングニュースがブッシュの軍歴詐称をスクープし大騒動となるが、後に完全な誤報であることが判明したため、CBSの複数の幹部が解雇され、著名なキャスターであったダン・ラザーも降板に追い込まれた。
完全な誤報などとは誰も言えないのだが、こうして歴史は作られる。
朝日新聞の夕刊で立川志らくが『ニュースの真相』について映画評を書いていて(「(プレミアシート)「ニュースの真相」 正義ほど怖いものはない(2016/08/05))、なんという、勘違いのコメントかとあきれかえった。報道する側の正義と、大統領側の正義、正義のぶつかりあいの不毛さとか、テレビの報道を、ネットが凌駕するというような、およそ映画をみた私をふくめた多くの人が抱く感想とは、別物の感想を述べていて、社会的・政治的センスのなさに、あきれかえったのだが、ネット上の映画評をみると、立川志らくほどの素っ頓狂なコメントはなくて、ちょっと安心した次第。
映画の内容に関して、良いニュースと悪いニュースが。
気休め程度の安心でしかないが、メディアに対する政権・政府の締め付けのファシズム的厳しさ、まさに全体主義国家(北朝鮮、中国)さながらの報道への圧力は、日本という中国と北朝鮮と同列の劣等国家だけのことか思っていたら、この映画を見ると、アメリカも同じようにひどいことがわかって、暗澹たる気持ちになるのだが、強いて救いとなることといえば、これは2004年の大統領選挙の年のことであり、あの頃は、共和党が、まさに好き勝手なことをしていて、不正がまかりとおっていた。ほんとうにアメリカの暗黒時代だった。
中東戦争を起こし、結局は、泥沼化し、多くのアメリカの将兵を、またそれにもまして多くのイラク人やアラブ人を犠牲にしながらも、結局、責任をとったかというと、なにもとっていないネオコンの屑どもが、まさに当時は、跳梁跋扈していた。
ブッシュが再選された大統領選挙では疑惑が噴出し、民主国家でありながら、選挙結果ではなく、裁判で、大統領を決めたことを記憶しているだろうか。司法関係者は、みな共和党の関係者で、疑惑が生じても、ブッシュが大統領になることは、最初から決まっていた。また国民の半数が支持していないブッシュが、選挙制度の盲点をついて、結果的には圧勝し、国民の八割以上が支持したような印象をもたれた。もうブッシュ大統領と共和党の全体主義支配はゆるぎなく、まさに頂点に達したと思われた時代だった。
だが、共和党の凋落は、実際のところ2004年に始まったといっていい。この映画のなかで共和党の餌食となったジャーナリストたちだが、彼らは、確実に一矢をむくいたのだ。
悪いニュースとしては、こういうニュースは他人ごとではない。政権を批判する報道に対する悪辣かつ卑劣な攻撃は、熾烈をきわめ、いまの日本では常態化している。この映画の出来事は2004年であって、同時に2016年の日本の出来事そのものである。いや、このような事態は、世界中で起きている。そして同じような悪辣で卑劣な圧力がかけられ、メディアへの規制が、いや増しに強まっている。この点は、過去の出来事でも、他人ごとでもなんでもない。いまの私たちの問題である。
先ほどの立川志らくの映画評も、それが朝日新聞夕刊ということもあって、おそらく本人が腰が引けたというか自主規制した結果かもしれないのだが、朝日新聞の慰安婦問題報道、あるいは福島の原発報道のときも、政権にとって都合の悪い報道をもみ消すために、誤報という判定を下して、追及をそらすようなことが行なわれている。朝日の報道がでっち上げだとほんとうに怒っているのは、ネトウヨくらいのものであって、その真実性を信じている者は私を含めて多いし、残念なのは、さらなる追求が妨害され、真実が圧殺されていることである。
この映画でも同じで、ブッシュの軍歴詐称は、まずまちがいないだろう。それは、報道のしかたと、報道への圧力のパターンによって推察できるからである。
1まず政権にとって、きわめて都合の悪い報道がなされたり、情報が開示されたりする。
2次に、提出された証拠や情報が、でっち上げであったり、偽造であったりと反撃が生まる。
3情報源が特定されるが、情報源は、きわめて疑わしいことが暴露される。
4報道が誤報もしくは虚報であると攻撃される。
5誤報もしくは虚報だけがクローズアップされ、問題の追及ははぐらかされる。
6責任者あるいは関係者の処分がおこなわれる。
7問題の追及の停止、問題そのものの抹消。
ガス・ヴァン・サント監督『プロミスト・ランド』(
Promised Land 2012)は、悪辣な組織は電力会社だが、反対派の勢いを削ぐために、「肉を切らせて骨を切る」ような戦術がおこなわれることを、知らせてくれる。今回の映画は電力会社ではなく政権がそうしたのだろうが、メディアが、ブッシュ大統領の軍歴詐称に関する調査をはじめたと知った政権側は、肉を切らせて骨を切るために、捏造した証拠書類もしくは本物の書類を、メディア側に渡す。このとき匿名を条件に情報源になる人物が登場するが、情報源そのものが、内閣情報調査室に雇われた贋の関係者であったり、そうでなくとも謎めいていて疑わしい人物である。メディアが、その偽の情報なり証拠を大々的に報じた時が、メディアを圧殺する最大の好機となる。政権の意をくんだ人間がブログなりツイッターで証拠の疑わしさを訴える。証拠が贋物であることが確定しさえすればいい。さらには些細な誤りだけを指摘するだけでもいい。その小さな誤り一つをもってして、すべてを疑わしい物、すべてが調査するに値しないもと決めつければいい。
そんな猿芝居を、誰が信ずるかと思っても、それ以上、追及がなされない以上、沈黙するしかない。そこが内閣情報調査室のねらい目だろう。そしてこのことは、追及するメディア側も、もっと注意して、誤報を避けろということではすまない。いや、たしかに、報道する側も、しっかりチェックしてくれよ、ミスったら、それこそ敵の思うつぼなのだからという思いは強い。しかし敵は、贋物を本物であると信じさせるのに必死だから、それを贋物と見抜くのは、並大抵のことではない。そのうえ肉を切らせて骨を断つ戦術に出られると防ぎようがなくなる--「肉」の部分は、信憑性の高い情報というか、真相そのものであるから、たちが悪いのだ。肉の部分は、信ずるの値する真実そのものなのだから。
そしてその真実の先にあるのが落とし穴ということになる。ここまでくれば、あとは一石二鳥、一石三鳥であろう。リベラレル系のCBSの報道に圧力をかけ、60ミニッツのキャスター、ダン・ラザーを降板あるいは番組終了に追い込めれば、願ったりかなったりだろう。内閣情報調査室にとっては。
また、このプロセスの中では、まずは本物を本物であるとして示して、その後に、贋物をもぐりこませる戦術であるからには、ばれてもいいというスタンスでくるし、そこに余裕と大胆さが生まれるとなると、これを出し抜くのは至難の業である。
ただ、いえることは一つの間違いで、すべてが間違っているような物言いをするのは、内閣情報調査室の人間であると疑っていいということだ。学問の世界にも、これがある。そもそも学問の世界は、間違いを前提としていて、間違いがあるからこそ、それを検討し、また正すことで、先に進めるのだが、間違い一個ですべて終わりというような断定をくだすバカがいる。おまえのことだぞ。こういう愚かな人間には、学者・研究者の風上にも置けない。内閣情報法調査室にでも行けと言っておくべきだろう。
追記
映画そのものについて。今回はケイト・ブランシェットの熱演が光る。彼女の主演映画のなかでもベストワンともいえる代表作になったのではないか。
ロバート・レッドフォードの老け方がすごいという評判になっているが、私にいわせれば、むしろステイシー・キーチの老い方がすごい。死にかかっている役ではあるのだけれど。
posted by ohashi at 21:07|
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