2025年03月18日
メディアの二次加害性 2
前回の記事(3月11日)では、邪魔はしないと約束したカメラクルーが、すぐに横柄な口調で仕切り始めたことに対し、これでは記念の集合写真のために、撮影者の指図を受けるうつされる側と同じではないかと述べたが、撮影者がよほど横暴で失礼な人間でない限り、誰もが、撮影者の指図に従い、何とも思わないのではないか。前回の記事では、画角にあわない人物の位置を調整したにすぎない撮影者に腹を立てるのはおかしい。ただの怒りんぼうではないか。そう反論されるかもしれない。
たしかに集合写真の撮影の際に、立ち位置を調整されるのはいつものことでなんとも思わない。「はいチーズ」という撮影直前の合図にしても、その指示を無視するか聞いていないメンバーに対して撮影者が強要しないかぎり、誰もそれが干渉的演出であるとすら思わないのだろう。
また確かにカメラクルーは授業を妨害するような介入的指示は出してない(実際には授業がはじまってからも、あれこれ指図されたような気がするが、ただ、これは私の記憶違いかもしれないので、なんともいえない)。しかしその場にいた学生たちと私にとっては、やはり約束違反のような気持ちは否めなかった。
なるほど最初固定カメラで教室全体をうつしておくことは必要だったかもしれない。ならば、最初に、「画角に入らない授業参加者には席を動いてもらうかもしれません。ただ、それ以後は何もいいません。授業のじゃまはしません」と伝えればいい。そうすれば学生も私も授業前の最小限の指示をあるいは演出を気にすることはなかっただろう。
カメラクルーがそれをしなかったのは、配慮がたらなかったからでも、忘れたからでもないだろう。被写体となる人間の立ち位置を有無を言わせず変えることは、ごくあたりまえのことであって、いちいち断る必要はない。そもそも撮影に同意したのだから、カメラに映りたいのだろう。撮ってやってんだから、つべこべいうな。という侮蔑的な姿勢と、被写体を自由に構成することへの権力と創造性を行使することに対するなんともいえない喜びが、カメラクルーの側にあり、映されるこちら側にそれが伝わってきて、なんとも不快な思いをさせられたのだ。
これは私が短気だからではない。ジャーナリズムに特有のコントロール感覚・支配感覚は、取材されたり撮影される側になってみると、肌で感じられるのである。
おそらくジャーナリズムの長い歴史をへて蓄積されたノウハウ以上の暗黙の前提となっているのは、取材対象を操作しコントロールしてもよいということだろう。ある程度、できあがった物語というかシナリオにそって現実を構成しなおすことができるのは、権力をもつ側である。そしてそれを極力避けねばならいのがジャーナリズムであるはずが、今やジャーナリズムの側も現実構成権力をもつようになっている。それが当然のこと、当然の暗黙の前提となっている。簡単に変えれられないこの暗黙の前提はかなりやっかいである。
エドガー・ドガ、バレーのダンサーや競馬場風景を描いて名高いフランスの画家を知らない人はいないと思うのだが、そのドガの絵は、すべてではないとしても、画面を変なところで切っているものが多い。たとえば人物の片方の手が画面からはみ出ることになって描かれていなかったり、人物の片方の足がくるぶしまでしか描かれていない。足の部分は画面の外にあたるため描かれていない、というような。
しかし、これは絵画としてみると変である。画用紙なりキャンバスにもし人物の全体像を描こうとしたら、右手とか左足が画面からはみ出すかたちになって描かれないということはないだろう。きちんと画面の大きさと描かれる対象の位置を考慮し計算して、全体像が入るように描くだろう。ところがドガは、無頓着だったのか、意図的だったのか、画面のなかに描かれるものがきちんとおさまるような書き方をしてない。
たとえば『バレエのレッスン』(1874)というドガの有名な絵があるが、この絵の上辺と下辺、そして両サイドに注目してもらうと、そこには中途半端に収まっている人物とか事物しかいない。こちらに背を向けているダンサーのバレーシューズに下辺がかかっている。こんなぎりぎりにダンサーの足を描かなくてもいいじゃないのか。自分でしっかり位置取りとバランスを計算して描けよと、思ってしまう。写真じゃないのだから。
そう、写真じゃないのだから。
言い換えると、ドガの絵は、まるで写真のように現実を切り取っている。その絵画の四辺は、画家が現実を再構成したものを収めるための境界ではなく、写真のフィルムが現実の世界に押し付ける強制的な四辺という枠組みを再現したものなのだ。
ドガの絵画のリアリティは、画家が現実の光景を再構成してキャンバスに収めたことで生まれるのではなく、演出できない、再構成できない現実を、そのままに描くこと――そのため枠にうまくおさまりきらない細部をつくりだすこと――から生まれている。芸術写真あるいは映画というよりもスナップ写真のような絵画が、ドガの絵画のリアリティを保証する。
ここでは悪役を演じさせられている、いや実際に悪役だったと思うのだが、そのカメクルーは、画角に入りきらない人物を、わざわざ移動させることで、整った絵をつくることはできたとしても、現実を改変し演出したのである。ありのままの授業風景を撮るというのなら、画角からはみ出るものが多くあるいびつな画面のほうがリアリティがある。つまりはリアルなものに敬意を表することになる。
ところが、このカメラクルーは、撮影技術が未熟だととられることを恐れ、また被写体を構成・演出することは暗黙の前提であり、それに律儀に従ったために、現実を演出し改変したのである。だが、この小心者のカメラクルーに後悔の念はないだろう。むしろ現実を再構成し演出しえたことの無反省な喜びしかなかったはずである。
このカメラクルーは、ジャーナリズムあるいはメディアの別名でもある。
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2025年03月17日
捏造のジャーナリズム
開運なんでも鑑定団の3月16日日曜日午後1時からの再放送を観て、そのなかのあるお宝の鑑定をめぐって思うことがあった。といっても、鑑定とかお宝そのものについてのことではない。
それは2024年11月12日に放送された番組の再放送だったのだが、大谷翔平の日本でのプロ初ホームランのホームランボールを見事に受け止めた人に関係するお宝だった(出張鑑定団のコーナー)。
2024年11月12日の放送は、スポーツ紙にも取り上げられたので、記事の一部を引用しておく:
この記事が重要なポイントをすべて拾っているで、どういうお宝で鑑定だったかはおわかりになると思うのだが、私が驚いたのは、そこではない。
この記事では触れられていないのだが、上記の日々さんの話によると、妊娠中の妻と野球観戦に来ていたのだが、ホームランボールをキャッチしたこと、球団側から、当然のごとく、返してくれるように頼まれたこと、しかたなく返したこと、その一部始終をたまたまそこにいた新聞記者にみられて取材を受けることになった。そして翌日の記事にはなんと、大谷のプロ初ホームランをキャッチした日比氏、妊娠中の奥さんから生まれてくる子に「翔平」の名前をつけると書かれていた。
しかし、これは新聞記者のでっち上げであり、日比氏は子供に翔平という名前をつけるつもりはなかったし、実際に、子供は翔平という名前ではない。ふつうに考えても、いくら大谷翔平が人気者だったとはいえ、日ハム時代のプロ初ホームランであり、そのボールをキャッチしたからといって、どうして自分の子供に翔平と名前をつけなければいけないのか。まあ、今だったら、翔平という名前を喜んでつけたかもしれないのとしても。また日比氏は、中日ファンであって、なぜ日ハムの選手の名前を子供につけなければいけないのか。
実際、その新聞記者は、妄想がひどすぎはしないか。まるで大谷の打ったボールは、大谷からの精液ボールで、それが日比氏の妻の子宮にとどき、妻は夫ではなく大谷の子を宿し出産することになった。となると、これでは日比氏はもう絵にかいたような寝取られ亭主ではないか。こうした無意識の連想が新聞記者に、大谷のホームランボールをキャッチした観客が自分の子に翔平の名前をつけるという記事をでっちあげさせたのだ。
比ゆ的であれ寝取られ亭主じみた存在を押し付けられた日比氏にとっては、ほんとうに迷惑な話である。そして重要なのは、重大なのは、新聞記者は、自分の頭のなかにつくりあげた連想あるいは物語に夢中になり、現実的・常識的にみて、やや常軌を逸している内容の記事を、それも実際に関係者の了解もとることをせず、ただ、読者のウケをねらって記事をでっちあげた。
まあ新聞紙面一段のこぼれ話的な内容の記事であって、そんなことに目くじらをたてるなと言われそうだが、ここに新聞ジャーナリズムの悪癖が、あるいは誤謬が、いや、邪悪なところが典型例のように認められるのだ。このことは決してゆるがせにできないのである。
付記:
子供に翔平と命名という記事は、テレビ画面でも紹介されていた。ただどこの新聞社の記事なのかはわからなかった。もちろん2013年3月17日か18日の新聞のバックナンバーを調べればいいのだが、どの新聞社の記事なのか見落としたので、その記事にたどり着く前にけっこうお金を払う必要があろう。番組も、見逃し配信で見直せるのかもしれないが、再放送の見逃し配信があるのかわからず。いまのところ確認はとれていない。
それは2024年11月12日に放送された番組の再放送だったのだが、大谷翔平の日本でのプロ初ホームランのホームランボールを見事に受け止めた人に関係するお宝だった(出張鑑定団のコーナー)。
2024年11月12日の放送は、スポーツ紙にも取り上げられたので、記事の一部を引用しておく:
祝ワールドシリーズ制覇!大谷翔平がプロ入りして初めて放ったホームランボールを見事キャッチ!そのボールを球団に返却したところ、大谷からいただいたサインボールに驚愕の鑑定結果が!2024年11月12日 22時11分スポーツ報知
12日放送のテレビ東京系「開運!なんでも鑑定団」(火曜・午後8時54分)で、ドジャース・大谷翔平投手の“プロ1号”ホームランボールが意外な鑑定額となる一幕があった。
この日の番組では「第29回スポーツグッズ鑑定大会」を開催。中日ファン歴40年の日比章裕さんが持ち込んだのが、日本ハム時代の大谷が2013年3月17日、鎌ヶ谷スタジアムで行われた自身のデビュー戦、日本ハム―中日のオープン戦の3回に打ったホームランのボールだった。
右翼席で観戦していた日比さんは「3、4人の方とビーチフラッグみたいになって、大谷選手のプロに入って初のホームランを私が取りまして」と記念すべき1球をゲット。やってきた球団職員に「大谷選手がプロになって初めてのホームランなので、本人の手元に返したい」と言われ手渡したが、1週間後に送付状とともに送られてきたのが、日付とともに「日比さんへ」と書き込まれ、「背番号11」も書かれた大谷のサインボールだった。
日比さんの本人評価額は50万円だったが、鑑定額は35万円とダウン。鑑定人は「大変、貴重なルーキーシーズンのサインボールです。まだ公式戦デビュー前ですから、どこか初々しい感じのするサインボールで日付が書かれているのもいいです。本来であれば(日比さんという)名前が書かれているのがマイナスなんですが、このボールの場合、ファイターズからの送付状や依頼人の名前も書かれてるので、ホームランボールと交換されたものという信ぴょう性に置いて大変、重要な情報も入ってます」と評価した上で「もし、ホームランを打った実際のボールであれば、ゼロのケタが違う値段がついたと思います」と付け加えていた。
この記事が重要なポイントをすべて拾っているで、どういうお宝で鑑定だったかはおわかりになると思うのだが、私が驚いたのは、そこではない。
この記事では触れられていないのだが、上記の日々さんの話によると、妊娠中の妻と野球観戦に来ていたのだが、ホームランボールをキャッチしたこと、球団側から、当然のごとく、返してくれるように頼まれたこと、しかたなく返したこと、その一部始終をたまたまそこにいた新聞記者にみられて取材を受けることになった。そして翌日の記事にはなんと、大谷のプロ初ホームランをキャッチした日比氏、妊娠中の奥さんから生まれてくる子に「翔平」の名前をつけると書かれていた。
しかし、これは新聞記者のでっち上げであり、日比氏は子供に翔平という名前をつけるつもりはなかったし、実際に、子供は翔平という名前ではない。ふつうに考えても、いくら大谷翔平が人気者だったとはいえ、日ハム時代のプロ初ホームランであり、そのボールをキャッチしたからといって、どうして自分の子供に翔平と名前をつけなければいけないのか。まあ、今だったら、翔平という名前を喜んでつけたかもしれないのとしても。また日比氏は、中日ファンであって、なぜ日ハムの選手の名前を子供につけなければいけないのか。
実際、その新聞記者は、妄想がひどすぎはしないか。まるで大谷の打ったボールは、大谷からの精液ボールで、それが日比氏の妻の子宮にとどき、妻は夫ではなく大谷の子を宿し出産することになった。となると、これでは日比氏はもう絵にかいたような寝取られ亭主ではないか。こうした無意識の連想が新聞記者に、大谷のホームランボールをキャッチした観客が自分の子に翔平の名前をつけるという記事をでっちあげさせたのだ。
比ゆ的であれ寝取られ亭主じみた存在を押し付けられた日比氏にとっては、ほんとうに迷惑な話である。そして重要なのは、重大なのは、新聞記者は、自分の頭のなかにつくりあげた連想あるいは物語に夢中になり、現実的・常識的にみて、やや常軌を逸している内容の記事を、それも実際に関係者の了解もとることをせず、ただ、読者のウケをねらって記事をでっちあげた。
まあ新聞紙面一段のこぼれ話的な内容の記事であって、そんなことに目くじらをたてるなと言われそうだが、ここに新聞ジャーナリズムの悪癖が、あるいは誤謬が、いや、邪悪なところが典型例のように認められるのだ。このことは決してゆるがせにできないのである。
付記:
子供に翔平と命名という記事は、テレビ画面でも紹介されていた。ただどこの新聞社の記事なのかはわからなかった。もちろん2013年3月17日か18日の新聞のバックナンバーを調べればいいのだが、どの新聞社の記事なのか見落としたので、その記事にたどり着く前にけっこうお金を払う必要があろう。番組も、見逃し配信で見直せるのかもしれないが、再放送の見逃し配信があるのかわからず。いまのところ確認はとれていない。
posted by ohashi at 17:13| コメント
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2025年03月15日
みのもんた追悼
みのもんた追悼のネット記事の最後に、こんな紹介があった。記事そのものに問題はないので記事に触れることはしない。また記事に対して反論するつもりなどないので、どの記事かは明示しない。
この最後の紹介は、誤解を招くというか、詳しくない人間が伝聞情報で書いた欠陥紹介文である。みのもんたが、「セイ!ヤング」の初代パーソナリティに抜擢されたのは事実だが、深夜番組の「セイ!ヤング」のパーソナリティは日替わり。そのため初代パーソナリティは、みのもんだ以外にも5名いた。またその頃の深夜放送、ラジオ放送のパーソナリティのことを思い浮かべると、みのもんたと同じ立教大学卒業で、みのもんたの先輩にあたる土井まさるの存在が大きかった。当時はみのもんたは、土井まさるの二番手という位置であった。もちろん、すぐに人気がではじめ、人気という点で土井まさるをしのぐようになるとしても。
文化放送退社後は、コミカル系サブ司会者あるいはナレーターという感じで活躍していたが、1989年『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ)の司会で大ブレーク。以後人気を不動のものにしてゆく。
21世紀に入ってからは報道番組の司会も多くてがけるようになったが、2013年以後、セクハラ騒動、次男の不祥事などで、報道番組を降板することになる。ただ、ふたつの事件、どちらも事件とも言えないほどの疑惑程度のものであり、次男の不祥事も「窃盗未遂」という、敏腕弁護士なら簡単に論破してしまうような案件だった。
報道番組を通してのみのもんたの姿勢は、とくにリベラルということもなく、どちらかといえば保守的だったと思うし、コメントも無難なものが多かったようだが、ただ、福島の原発事故以後、反原発、原発再稼働反対の姿勢を強めていたという記憶がある。かなりシリアスに反対していたことは確かで、国民的人気を誇る司会者であるがゆえに、狙われたのだろう。陰謀によって司会者をやめるところまで追い詰められたと私は思っている。というか、そう思うのは私だけではないだろう。
みのもんたは、保守陣営との付き合いのほうが多かったので、体制側にとって決して危険人物ではなかったはずだが、反原発の姿勢は、人気のある司会者であるがゆえに、危険すぎたということか。
ただ、本来的にリベラルであろうが、にわかリベラルであろうが、その反原発の姿勢には支援者や賛同者が現れてしかるべきだったし、支援者・賛同者に守られていれば番組降板ということもなかったはずである。繰り返すが次男の不祥事は不祥事ともいえないものだった。ではなぜ支援者は現れなかったのか。
それは毎晩、銀座で豪遊しているような、報道番組の司会に似つかわしくないオフにおける言動が災いしたとしか思えない。べつに報道番組の司会者だからといって銀座のクラブに行くなということではない。しかし、行き過ぎると、司会者としての資質に疑問が生じはじめる。バラエティ番組のMCの色が抜けなかったみのもんたは、自身もまた、その色を強調することで、報道番組の司会者像と乖離していったのではないだろか。いくらリベラルでも銀座のクラブで夜ごと豪遊している司会者に援助の手を差し伸べる人間はいない。
実際、報道番組の司会者という自分に似つかわしくない役割にストレスがたまり、毎夜、銀座で豪遊していたとも考えられないこともなく、ならばなおさらのこと、支援者があらわれることはなかったともいえる。
もちろん、みものもんたは年齢とともに番組も少なくなり人気にも陰りができていくだろうから、不祥事があってもなくても、番組降板は、必然的にやってきただろうとはいえる。しかし、みのもんたのシリアスな反原発の姿勢が体制側からの報復をもろに受けたということは憶測以上の、ほぼ確実なことともいえるだろう。彼は反原発の大義のために身をささげた。ある意味、反原発の殉教者である。あるいは反原発を強く主張し抹殺された英雄である。
いつかその汚名がそそがれ、名誉回復の日があることを、真剣に望みたい。
みのさんは立教大卒業後、1967年に文化放送に入社。69年に「セイ!ヤング」の初代パーソナリティに抜てきされ、ディスクジョッキーの先駆けとなり、深夜放送ブームをけん引。79年に退社後、83年にフジテレビ「プロ野球珍プレー・好プレー」のナレーションを担当するなどテレビの世界に進出し人気を博した。
この最後の紹介は、誤解を招くというか、詳しくない人間が伝聞情報で書いた欠陥紹介文である。みのもんたが、「セイ!ヤング」の初代パーソナリティに抜擢されたのは事実だが、深夜番組の「セイ!ヤング」のパーソナリティは日替わり。そのため初代パーソナリティは、みのもんだ以外にも5名いた。またその頃の深夜放送、ラジオ放送のパーソナリティのことを思い浮かべると、みのもんたと同じ立教大学卒業で、みのもんたの先輩にあたる土井まさるの存在が大きかった。当時はみのもんたは、土井まさるの二番手という位置であった。もちろん、すぐに人気がではじめ、人気という点で土井まさるをしのぐようになるとしても。
文化放送退社後は、コミカル系サブ司会者あるいはナレーターという感じで活躍していたが、1989年『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ)の司会で大ブレーク。以後人気を不動のものにしてゆく。
21世紀に入ってからは報道番組の司会も多くてがけるようになったが、2013年以後、セクハラ騒動、次男の不祥事などで、報道番組を降板することになる。ただ、ふたつの事件、どちらも事件とも言えないほどの疑惑程度のものであり、次男の不祥事も「窃盗未遂」という、敏腕弁護士なら簡単に論破してしまうような案件だった。
報道番組を通してのみのもんたの姿勢は、とくにリベラルということもなく、どちらかといえば保守的だったと思うし、コメントも無難なものが多かったようだが、ただ、福島の原発事故以後、反原発、原発再稼働反対の姿勢を強めていたという記憶がある。かなりシリアスに反対していたことは確かで、国民的人気を誇る司会者であるがゆえに、狙われたのだろう。陰謀によって司会者をやめるところまで追い詰められたと私は思っている。というか、そう思うのは私だけではないだろう。
みのもんたは、保守陣営との付き合いのほうが多かったので、体制側にとって決して危険人物ではなかったはずだが、反原発の姿勢は、人気のある司会者であるがゆえに、危険すぎたということか。
ただ、本来的にリベラルであろうが、にわかリベラルであろうが、その反原発の姿勢には支援者や賛同者が現れてしかるべきだったし、支援者・賛同者に守られていれば番組降板ということもなかったはずである。繰り返すが次男の不祥事は不祥事ともいえないものだった。ではなぜ支援者は現れなかったのか。
それは毎晩、銀座で豪遊しているような、報道番組の司会に似つかわしくないオフにおける言動が災いしたとしか思えない。べつに報道番組の司会者だからといって銀座のクラブに行くなということではない。しかし、行き過ぎると、司会者としての資質に疑問が生じはじめる。バラエティ番組のMCの色が抜けなかったみのもんたは、自身もまた、その色を強調することで、報道番組の司会者像と乖離していったのではないだろか。いくらリベラルでも銀座のクラブで夜ごと豪遊している司会者に援助の手を差し伸べる人間はいない。
実際、報道番組の司会者という自分に似つかわしくない役割にストレスがたまり、毎夜、銀座で豪遊していたとも考えられないこともなく、ならばなおさらのこと、支援者があらわれることはなかったともいえる。
もちろん、みものもんたは年齢とともに番組も少なくなり人気にも陰りができていくだろうから、不祥事があってもなくても、番組降板は、必然的にやってきただろうとはいえる。しかし、みのもんたのシリアスな反原発の姿勢が体制側からの報復をもろに受けたということは憶測以上の、ほぼ確実なことともいえるだろう。彼は反原発の大義のために身をささげた。ある意味、反原発の殉教者である。あるいは反原発を強く主張し抹殺された英雄である。
いつかその汚名がそそがれ、名誉回復の日があることを、真剣に望みたい。
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2025年03月12日
『切られた首』
『切られた首』というタイトルで、なにか猟奇的な殺人事件のようなものを想像したら、それはクリスチアナ・ブランドの『切られた首』(邦訳題)という推理小説のこと(原題は、あなたが失う首)で、今回はアイリス・マードックの小説のこと。
という感想がネット上にあったのだが、クリスチアナ・ブラントの小説あるいは猟奇殺人物の小説とまちがえたということだが、まちがえて読んだ感想をわざわざネット上に載せるというのはどうしたものだろう。
もうひとつ、こんな記事もあった。
前後にパラグラフがあるコメントの一部だけを切り取ったのだが、せっかくマードックの小説のファンになろうとするのだから、たとえ予想外の内容だったとしても、つまらないと切り捨てるよりも、つまらないようにみえて実はと、その魅力を掘り下げてもよいのではないだろうか。
私はマードックの小説の熱心な読者ではないが、たしかに『切られた首』は、ロマネスク色の強い作品が多い彼女の小説のなかでは、大人のラブコメというか、ドラマでいうとシェイクスピア劇というよりも王政復古喜劇に近いものがあって、異色作である。
予想もつかない展開があって、たしかに、上記のレヴュウアーが述べているように「AはXと関係を持った。次にYと関係を持った。それから自分の本当に求めるものはZの愛であると気付き、最終的にZの元へ行った」というような話になっているのだが、これがつまらないというのなら、小説全般を読まないほうがいい。
この小説、不倫の連鎖と一種のドタバタ劇に終始しているかにみえて、最後に、深いところに落としていくのは、さすがにマードックという感じがする。
上記のレヴューアーは『切られた首』という、ぶっそうなタイトルがどうしてこの大人のラブコメについているのか、なにも考えていない。それから現代の眼からみれば、もうあたりまえになっていて、とくに気にもならない、どちらかというと軽薄さを助長するような設定だと思うのだが、ワイン輸入業会社の社長である主人公の女性秘書ふたりがレズビアンであったり、主人公が自分のなかにある同性愛的感情を吐露したり、きわめつけとして近親相姦カップルが登場したりする。
こうした要素が、王政復古喜劇の枠組みのなかに埋め込まれているために、そこから倒錯的な欲望のドラマへとつながることはない。倒錯的欲望ですら、ある種のアクセサリーもしくはめくらましあるいは催淫効果をもたらすものとして機能している。現代の風俗喜劇の表層的愛の枠組みのなかで主人公はやがて真の愛を発見してゆく。それは表層的風俗喜劇ではなしえない愛のカタチとなる。つまり、もっと深い、死と直結するような、欲望の闇へといざなうような愛である。それは現代のロンドンからは生まれない危険な神秘的なオリエンタルな愛であり、もっといえば、それは「日本」の愛である。
ちなみにコトバンクにある日本大百科全書(ニッポニカ)の『切られた首』A Severed Head
をみてみると、
とあって、出淵先生の署名入り記事は、実にこの小説を的確に要約している。ただし「日本」が出てくることにふれていない。それはこの小説の美点というよりも欠点とみなされたのかもしれないが。
『切られた首』は、J・B・プリーストリーとマードック本人によって戯曲化され、さらに映画(1970)にもなった。ディック・クレメント監督の小説・戯曲と同名の映画で、リー・レミック、リチャード・アッテンボロー、イアン・ホルム、クレア・ブルームといった配役をみると、けっこう力のこもった本格的な映画だとわかる。けっして凡庸な小説の映画化などではない。その冒頭で、登場人物に似せた人形(指人形のようなもの)が次々と登場してオープニングを飾るのだが、あきらかにクレア・ブルームに似せた人形と思われるものが、日本刀を抱えているのである。「日本」、「日本刀」
「切られた首」というのは、未開人の「干し首」のような呪術的用途で使われる神秘的オブジェをいうのだが、そしてそこに人類学的意味が込められているのだが、それはまた、日本と日本刀に直結する。日本刀の用途は、たんなる武器ではなく、首をはねるものというのが西洋的理解であり、日本刀をふりまわす人類学者の女性(主人公が最終的に究極の愛のありかをみる女性)は、主人公の首を斬りそうになる、去勢するファムファタールである。死と去勢の恐怖によって、主人公は真実の愛を見出すかにみえる。
そしてひょっとしたら、現代の軽佻浮薄な英国人にもまた、そうした呪術的な深層とタナトス的欲望が宿っているのかもしれないと垣間見せることでこの小説は終わっていると私はj考える。
ところで、なぜマードックの『切られた首』かというと、翻訳をしていて、この作品について、その一部を要約的に言及するところがあり、訳注をつけることになった。翻訳情報と言及されている箇所なり部分を示すために、翻訳を読んでみた。一九六〇年出版の工藤昭雄訳のこの本はすでに絶版なのだが、古書としては出回っていて、それを購入した。原書は古いペンギン版でもっていたのだが、行方不明。
工藤昭雄先生は、教わったことはなく、かつての同僚であったのだが(いまは亡くなられた)、「さん」付けして呼ぶのがはばかられるほど威厳があった。威張っているとか厳格なということはなく、むしろ気さくな方だったが、これまでの実績からして(翻訳ではシェイクスピアから現代小説にいたるまでの訳業がある)、仰ぎ見るような方であることはまちがいなく、私にとっては「先生」と呼ぶしなかい存在であった。
その工藤先生の翻訳は、古い翻訳だが、さすがにうまい。会話文のところは、いまからみると、古臭いのだが、これは当時の日本の風俗と日本語の状況からして、それを反映しているので欠陥でもなんでもない。地の文、それもマードックの息の長い、いろいろな修飾がついている記述を、読んですっと頭に入るような美しくまた的確な日本語に訳されていて、私など足元にも及ばない翻訳技術の冴えをみせてもらった。
急いでいることもあって2日間で読んだのだが、いずれまた、じっくり時間をかけて、工藤先生の翻訳を読ませていただこうかと思う。
付記:
私は一度、日本でマードックに会ったことがある。私の学生時代のこと。神田神保町の書店、書泉グランテだったと思うのだが、1階の雑誌コーナーをみていた私は、ふと顔をあげると、そこにマードックがいたのである。写真でみるアイリス・マードックにそっくりな女性が夫君と思われる男性といっしょにいるではないか。私は何かの幻覚をみているのではないかとわが目を疑った。マードックが日本にいるのである。幻覚に違いない。とはいえ夢を見ているわけではないことはわかっていた。そこでそのふたりがなにをしているのか観察した。
二人はレジの店員になにか質問をしているようで、答えを得たらしく、すぐに書店を出た。私はそのあとをつけることにした。すると二人は坂をあがっていて、明治大学のキャンパスに消えていった。あとで調べたら、このとき、マードックとジョン・ベイリー夫妻は日本に来ていて明治大学で講演をしている。やはり私の幻覚でも見間違いでもなかったと、ちょっと安心した。これが私の日本におけるマードック遭遇事件だった。
追記1
この記事をアップした3月12日の午後2時から<ススキノ首切断事件>の裁判員裁判が開かれ、被告の父親に懲役1年4か月・執行猶予4年の有罪判決が言い渡されたことが報じられた。この事件と、今回の記事はまったく関係ない。マードックのこの小説では、誰も首を切られたりしない。
追記2
大学の英文科に入って一年次のときの英語の授業で、はじめて原書で読んだ文学作品というのは、記憶のなかに強く刻印されるのではなかと思う。私の場合、それはアーサー・ミラーの『セールスマンの死』であり、ジョイスの『ダブリン市民』だった。どちらもペンギン・ブックスの原書を買わされた。どちらも今の英文科学生にとっては、一年次で読むにはやや難しい作品ではないかと思うのだが、私の所属した英文科では、多少難しくても、どんどん読ませて英語に慣れるという方針が貫かれていたように思う。そしてもうひとつ、マードック、スパーク、オブライエンの三人の女性作家の短編を一冊にまとめた大学英語の教科書でも学んだ。マードックの作品は“Something Special”という短編(彼女の短編というは、そんなにないはず)で、Nothing Specialな日常のなかでSomething Specialなものを探すのだが、やはりNothing Specialだったというアイルランドでの日常を描くもので、ジョイスのダブリナーズにも通ずるものがある作品だった。授業で読んだせいもあって、大学一年次からマードックの名前と顔は知っていた。神保町駿河台での遭遇は、なにか因縁めいたものを感ずる。
マジで申し訳ない。ミステリのつもりで借りて読んだのに事件が全く起こらず起きるのは上流階級と思われる男女の狭い世界のあれこればっかりで、あれ、いつ首は切られるのかな…と思って最後まで読んで勘違いしてたことに気づいた。登場人物全員がなんかおかしくて変な世界観だったわ。主人公の男が自分は最高だといきってたのにだんだんその世界がまやかしだったと気づく話かな。ミステリのつもりでずっと読んでたせいでよくわからなかった。すみません。
という感想がネット上にあったのだが、クリスチアナ・ブラントの小説あるいは猟奇殺人物の小説とまちがえたということだが、まちがえて読んだ感想をわざわざネット上に載せるというのはどうしたものだろう。
もうひとつ、こんな記事もあった。
アイリス・マードックの小説はできるだけ読んでコメントを書こうと思って読んだのですが、本書はがっかりするものでした。ひたすらワインとウィスキーと痴情のもつれが主題で、男3、女3の主要登場人物が、最終的にはほとんど全部の相手と関係を持ちます。マードックの作品の特徴は、物語が7割以上進んだ時点で、すべての伏線を回収しつつ、圧倒的な力ではっとさせられるような結末へ導くところにあると思うのですが、本書に関しては9割以上進んでもいっこうに着地点が見えません。最初から最後まで「AはXと関係を持った。次にYと関係を持った。それから自分の本当に求めるものはZの愛であると気付き、最終的にZの元へ行った」というつまらない話に終始しています。後期の作品に見られる、物語のスケールの大きさや、知的で刺激的な部分もあまりなくて、マードックはこんな凡庸な小説も書くのか!とさえ思いました。
前後にパラグラフがあるコメントの一部だけを切り取ったのだが、せっかくマードックの小説のファンになろうとするのだから、たとえ予想外の内容だったとしても、つまらないと切り捨てるよりも、つまらないようにみえて実はと、その魅力を掘り下げてもよいのではないだろうか。
私はマードックの小説の熱心な読者ではないが、たしかに『切られた首』は、ロマネスク色の強い作品が多い彼女の小説のなかでは、大人のラブコメというか、ドラマでいうとシェイクスピア劇というよりも王政復古喜劇に近いものがあって、異色作である。
予想もつかない展開があって、たしかに、上記のレヴュウアーが述べているように「AはXと関係を持った。次にYと関係を持った。それから自分の本当に求めるものはZの愛であると気付き、最終的にZの元へ行った」というような話になっているのだが、これがつまらないというのなら、小説全般を読まないほうがいい。
この小説、不倫の連鎖と一種のドタバタ劇に終始しているかにみえて、最後に、深いところに落としていくのは、さすがにマードックという感じがする。
上記のレヴューアーは『切られた首』という、ぶっそうなタイトルがどうしてこの大人のラブコメについているのか、なにも考えていない。それから現代の眼からみれば、もうあたりまえになっていて、とくに気にもならない、どちらかというと軽薄さを助長するような設定だと思うのだが、ワイン輸入業会社の社長である主人公の女性秘書ふたりがレズビアンであったり、主人公が自分のなかにある同性愛的感情を吐露したり、きわめつけとして近親相姦カップルが登場したりする。
こうした要素が、王政復古喜劇の枠組みのなかに埋め込まれているために、そこから倒錯的な欲望のドラマへとつながることはない。倒錯的欲望ですら、ある種のアクセサリーもしくはめくらましあるいは催淫効果をもたらすものとして機能している。現代の風俗喜劇の表層的愛の枠組みのなかで主人公はやがて真の愛を発見してゆく。それは表層的風俗喜劇ではなしえない愛のカタチとなる。つまり、もっと深い、死と直結するような、欲望の闇へといざなうような愛である。それは現代のロンドンからは生まれない危険な神秘的なオリエンタルな愛であり、もっといえば、それは「日本」の愛である。
ちなみにコトバンクにある日本大百科全書(ニッポニカ)の『切られた首』A Severed Head
をみてみると、
イギリスの女流作家、J・I・マードックの長編小説。1961年刊。知識人階級の男女が織り成す綾(あや)取りのように巧緻(こうち)な色模様のドラマ。登場人物は、主人公葡萄酒(ぶどうしゅ)商マーティン・リンチ・ギボン、彼に離婚宣言する妻アントニアとその愛人の精神分析医、その医者の異父妹、またマーティンの愛人、弟などで、自殺、近親相姦(そうかん)などを折り込んで複雑な男女関係を展開する。世界の中心は自分だと思っていた男の世界観の崩壊を、喜劇的に洗練された文体で描いた円熟期の作品。[出淵 博]
『工藤昭雄訳『切られた首』(1963・新潮社)』
とあって、出淵先生の署名入り記事は、実にこの小説を的確に要約している。ただし「日本」が出てくることにふれていない。それはこの小説の美点というよりも欠点とみなされたのかもしれないが。
『切られた首』は、J・B・プリーストリーとマードック本人によって戯曲化され、さらに映画(1970)にもなった。ディック・クレメント監督の小説・戯曲と同名の映画で、リー・レミック、リチャード・アッテンボロー、イアン・ホルム、クレア・ブルームといった配役をみると、けっこう力のこもった本格的な映画だとわかる。けっして凡庸な小説の映画化などではない。その冒頭で、登場人物に似せた人形(指人形のようなもの)が次々と登場してオープニングを飾るのだが、あきらかにクレア・ブルームに似せた人形と思われるものが、日本刀を抱えているのである。「日本」、「日本刀」
「切られた首」というのは、未開人の「干し首」のような呪術的用途で使われる神秘的オブジェをいうのだが、そしてそこに人類学的意味が込められているのだが、それはまた、日本と日本刀に直結する。日本刀の用途は、たんなる武器ではなく、首をはねるものというのが西洋的理解であり、日本刀をふりまわす人類学者の女性(主人公が最終的に究極の愛のありかをみる女性)は、主人公の首を斬りそうになる、去勢するファムファタールである。死と去勢の恐怖によって、主人公は真実の愛を見出すかにみえる。
そしてひょっとしたら、現代の軽佻浮薄な英国人にもまた、そうした呪術的な深層とタナトス的欲望が宿っているのかもしれないと垣間見せることでこの小説は終わっていると私はj考える。
ところで、なぜマードックの『切られた首』かというと、翻訳をしていて、この作品について、その一部を要約的に言及するところがあり、訳注をつけることになった。翻訳情報と言及されている箇所なり部分を示すために、翻訳を読んでみた。一九六〇年出版の工藤昭雄訳のこの本はすでに絶版なのだが、古書としては出回っていて、それを購入した。原書は古いペンギン版でもっていたのだが、行方不明。
工藤昭雄先生は、教わったことはなく、かつての同僚であったのだが(いまは亡くなられた)、「さん」付けして呼ぶのがはばかられるほど威厳があった。威張っているとか厳格なということはなく、むしろ気さくな方だったが、これまでの実績からして(翻訳ではシェイクスピアから現代小説にいたるまでの訳業がある)、仰ぎ見るような方であることはまちがいなく、私にとっては「先生」と呼ぶしなかい存在であった。
その工藤先生の翻訳は、古い翻訳だが、さすがにうまい。会話文のところは、いまからみると、古臭いのだが、これは当時の日本の風俗と日本語の状況からして、それを反映しているので欠陥でもなんでもない。地の文、それもマードックの息の長い、いろいろな修飾がついている記述を、読んですっと頭に入るような美しくまた的確な日本語に訳されていて、私など足元にも及ばない翻訳技術の冴えをみせてもらった。
急いでいることもあって2日間で読んだのだが、いずれまた、じっくり時間をかけて、工藤先生の翻訳を読ませていただこうかと思う。
付記:
私は一度、日本でマードックに会ったことがある。私の学生時代のこと。神田神保町の書店、書泉グランテだったと思うのだが、1階の雑誌コーナーをみていた私は、ふと顔をあげると、そこにマードックがいたのである。写真でみるアイリス・マードックにそっくりな女性が夫君と思われる男性といっしょにいるではないか。私は何かの幻覚をみているのではないかとわが目を疑った。マードックが日本にいるのである。幻覚に違いない。とはいえ夢を見ているわけではないことはわかっていた。そこでそのふたりがなにをしているのか観察した。
二人はレジの店員になにか質問をしているようで、答えを得たらしく、すぐに書店を出た。私はそのあとをつけることにした。すると二人は坂をあがっていて、明治大学のキャンパスに消えていった。あとで調べたら、このとき、マードックとジョン・ベイリー夫妻は日本に来ていて明治大学で講演をしている。やはり私の幻覚でも見間違いでもなかったと、ちょっと安心した。これが私の日本におけるマードック遭遇事件だった。
追記1
この記事をアップした3月12日の午後2時から<ススキノ首切断事件>の裁判員裁判が開かれ、被告の父親に懲役1年4か月・執行猶予4年の有罪判決が言い渡されたことが報じられた。この事件と、今回の記事はまったく関係ない。マードックのこの小説では、誰も首を切られたりしない。
追記2
大学の英文科に入って一年次のときの英語の授業で、はじめて原書で読んだ文学作品というのは、記憶のなかに強く刻印されるのではなかと思う。私の場合、それはアーサー・ミラーの『セールスマンの死』であり、ジョイスの『ダブリン市民』だった。どちらもペンギン・ブックスの原書を買わされた。どちらも今の英文科学生にとっては、一年次で読むにはやや難しい作品ではないかと思うのだが、私の所属した英文科では、多少難しくても、どんどん読ませて英語に慣れるという方針が貫かれていたように思う。そしてもうひとつ、マードック、スパーク、オブライエンの三人の女性作家の短編を一冊にまとめた大学英語の教科書でも学んだ。マードックの作品は“Something Special”という短編(彼女の短編というは、そんなにないはず)で、Nothing Specialな日常のなかでSomething Specialなものを探すのだが、やはりNothing Specialだったというアイルランドでの日常を描くもので、ジョイスのダブリナーズにも通ずるものがある作品だった。授業で読んだせいもあって、大学一年次からマードックの名前と顔は知っていた。神保町駿河台での遭遇は、なにか因縁めいたものを感ずる。
posted by ohashi at 02:36| コメント
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2025年03月11日
メディアの二次加害性
メディアの暴力というほど大きな、大げさな問題ではないのだが、またオフィシャルな報道の問題でもない、ごくささいなことなのだが、ある意味、全体を暗示するような象徴性を帯びた出来事だった。
以前、ある大学で非常勤講師をしていた頃のこと。その大学では受験生むけに、プロモーション用のビデオを作製することになり、そのなかに、学生の生活や勉学をぶりを記録する映像を入れることになった。選ばれた学生が、たまたま私の演習を受講していた。そこで授業風景を撮影させてもらえないかと大学側から私に打診があった。
なにも私のような非常勤講師が担当する授業ではなく、専任教員が担当する授業を撮影してはどうかと、最初は断った。その学生が私の授業しか受講していないというのなら、しかたがないが、そんなことはないだろうから、断っても、大学側にそんなに迷惑はかけないだろうと思った。
そこをなんとかと大学側から強く言われた。これは私のような高名な先生の授業だから撮影したいということではまったくない。大学にとって私が高名ならば、翌年、非常勤講師を断ることはしなかったはずである。だから理由ははっきりしないが、大学側から懇請されたので撮影を許可した。
その時、大学側からは授業の邪魔はしないので、普段通りに授業をしてほしいし、それを撮影するのがビデオの目的なのだからと言われた。撮影当日も、カメラクルーがやってきて、責任者と目される人物が、普段通りの授業をしていただければよく、いっさい邪魔はしませんからと教室にいる私たちに明言した。私は、撮影のことをすでに学生に話していた。もし嫌なら当日、休んでもいいし、撮影が終わってから授業に参加してもいいと伝えていた。このことは撮影直前にも学生に伝えた。退席する学生は誰もいなかった。
私は、カメラが移動して授業風景を撮影するだろうから、あとは、そのカメラがそこにないふりをして授業をすすめればいいのだろうと考えていた。しかし、そのような移動撮影が始まるまえに、カメラマンが、すでに着席している学生の数人を移動させたりと、細かく指示し始めた。それまでは丁寧な口調だったカメラクルーがけっこう横柄な口調で学生に指示を出している。私たちは記念撮影をするために集まってカメラマンの指示をおとなしく待っているかのような雰囲気になった。話と違う。授業も始まらない。
これは私がそう感じただけで学生はとくになんとも思っていなかったのではと判断されるかもしれないが、そんなことはない。実際、ひとりの学生が立ち上がって、私に帰ってもいいかと尋ねた。私は、帰ってもいいと許可すると、その学生は憤懣やるかたない顔をして退出していたった。カメラクルーの邪魔や干渉はしないという約束と違う、横暴なやり方に腹をたてた学生が一人はいたのである。しかも、その学生は、その授業では、一番よくできる学生といってもよかったので、私の心は痛んだ。
最終的に撮影は10分くらいで終わったと思うのだが、その後、退席者もいた教室で、なにか気まずい雰囲気のなか授業をした記憶がある。またそのときの授業風景の映像が、どの程度使われたか、あるいは使われなかったかを確かめることはしなかった。
ささいなことではある。またあのときのカメラクルーは質が悪く、それをもってして業界全体さらにはメディアを批判されても困るという意見があれば、それについては真摯に受け止めたいが、ただ、こんなことは日常茶飯事であろう――メディアにとっては。つまり、一定のシナリオがあって、それにあわせて画角が決まり内容が決まる。そしてそれに合わなければなんとしてもあわせる。そのような横暴あるいは暴力は、メディアにとって常態化していないか。
伊藤詩織監督『ブラック・ボックス・ダイアリーズ』(Black Box Diaries)は、無許可の映像音声使用問題がもちあがり、日本では公開できない状態になっている。詳しい事情についてはまったく無知なので軽率なことは言えないのだが、ただ、ドキュメンタリーとしての説得力あるいは精度を増すために無許可の映像音声を使用したということだとしたら、ジャーナリズムでそれをしてはいけないが、ドキュメンタリーではふつうに行われていることだという意見もあるようだ。
ジャーナリズムだろうがドキュメンタリーだろうが、そんなことはしてはいけないという意見もあるだろうし、私にとっては、ジャーナリズムもドキュメンタリーも同じである。そのような約束違反、契約破りでなければ伝えられない真実があるのは確かだと思う。問題はそれとどう付き合うかである。それをどこまで弾劾し、それをどこまで許すのか。
あなたが被害者であった場合、あなたの被害者としての声を取り上げてくれるジャーナリズムなりドキュメンタリーは、しかし、あなたの声を鮮明にするような枠組みやスト―リーに、あなたを押し込めるだろうし、公開されたくない情報も容赦なく暴露するだろう。これは、もしあなたがジャーナリズムやドキュメンタリーの当事者(取材対象)になった方なら、絶対に感ずる、被害者への暴力である。あなたは、それをどこまで許すのか。その判断の基準は、取材者の姿勢によると私は考える。
ジャーナリズムであれドキュメンタリーであり、その加害性がなければ、有効な取材ができないことは事実である。厚顔無恥で法令無私の悪辣な政治家の真実を暴くには、時には、冒険的な取材や物語の構築も必要であろう。皮肉なことに、巨悪を眠らせないその手法が、被害者に対しても用いられるのであって、被害者の場合は二度被害を受けることになる。
しかしジャーナリズムやドキュメンタリーが二次加害性を意識しているのなら、それはまだ救いがある。真実を突き止める喜びに、真実を構築する喜びが優ってしまうことがある、それがまずいのだ。
隠れた真実を可視化するために、真実を構築することに喜びを感じ、それが二次加害であることを忘れてしまったときに、ジャーナリズムやドキュメンタリーはいまわしい権威主義的なものになりかねない。なりかねないどころか、ジャーナリズムやドキュメンタリーの加害性(被害者にとっては二次加害性)に泣き、また憤っている人がどれほど多いか、私が遭遇したカメラクルーや、ジャーナリスト、ドキュメンタリー作家は忘れないでほしいのだ。
以前、ある大学で非常勤講師をしていた頃のこと。その大学では受験生むけに、プロモーション用のビデオを作製することになり、そのなかに、学生の生活や勉学をぶりを記録する映像を入れることになった。選ばれた学生が、たまたま私の演習を受講していた。そこで授業風景を撮影させてもらえないかと大学側から私に打診があった。
なにも私のような非常勤講師が担当する授業ではなく、専任教員が担当する授業を撮影してはどうかと、最初は断った。その学生が私の授業しか受講していないというのなら、しかたがないが、そんなことはないだろうから、断っても、大学側にそんなに迷惑はかけないだろうと思った。
そこをなんとかと大学側から強く言われた。これは私のような高名な先生の授業だから撮影したいということではまったくない。大学にとって私が高名ならば、翌年、非常勤講師を断ることはしなかったはずである。だから理由ははっきりしないが、大学側から懇請されたので撮影を許可した。
その時、大学側からは授業の邪魔はしないので、普段通りに授業をしてほしいし、それを撮影するのがビデオの目的なのだからと言われた。撮影当日も、カメラクルーがやってきて、責任者と目される人物が、普段通りの授業をしていただければよく、いっさい邪魔はしませんからと教室にいる私たちに明言した。私は、撮影のことをすでに学生に話していた。もし嫌なら当日、休んでもいいし、撮影が終わってから授業に参加してもいいと伝えていた。このことは撮影直前にも学生に伝えた。退席する学生は誰もいなかった。
私は、カメラが移動して授業風景を撮影するだろうから、あとは、そのカメラがそこにないふりをして授業をすすめればいいのだろうと考えていた。しかし、そのような移動撮影が始まるまえに、カメラマンが、すでに着席している学生の数人を移動させたりと、細かく指示し始めた。それまでは丁寧な口調だったカメラクルーがけっこう横柄な口調で学生に指示を出している。私たちは記念撮影をするために集まってカメラマンの指示をおとなしく待っているかのような雰囲気になった。話と違う。授業も始まらない。
これは私がそう感じただけで学生はとくになんとも思っていなかったのではと判断されるかもしれないが、そんなことはない。実際、ひとりの学生が立ち上がって、私に帰ってもいいかと尋ねた。私は、帰ってもいいと許可すると、その学生は憤懣やるかたない顔をして退出していたった。カメラクルーの邪魔や干渉はしないという約束と違う、横暴なやり方に腹をたてた学生が一人はいたのである。しかも、その学生は、その授業では、一番よくできる学生といってもよかったので、私の心は痛んだ。
最終的に撮影は10分くらいで終わったと思うのだが、その後、退席者もいた教室で、なにか気まずい雰囲気のなか授業をした記憶がある。またそのときの授業風景の映像が、どの程度使われたか、あるいは使われなかったかを確かめることはしなかった。
ささいなことではある。またあのときのカメラクルーは質が悪く、それをもってして業界全体さらにはメディアを批判されても困るという意見があれば、それについては真摯に受け止めたいが、ただ、こんなことは日常茶飯事であろう――メディアにとっては。つまり、一定のシナリオがあって、それにあわせて画角が決まり内容が決まる。そしてそれに合わなければなんとしてもあわせる。そのような横暴あるいは暴力は、メディアにとって常態化していないか。
伊藤詩織監督『ブラック・ボックス・ダイアリーズ』(Black Box Diaries)は、無許可の映像音声使用問題がもちあがり、日本では公開できない状態になっている。詳しい事情についてはまったく無知なので軽率なことは言えないのだが、ただ、ドキュメンタリーとしての説得力あるいは精度を増すために無許可の映像音声を使用したということだとしたら、ジャーナリズムでそれをしてはいけないが、ドキュメンタリーではふつうに行われていることだという意見もあるようだ。
ジャーナリズムだろうがドキュメンタリーだろうが、そんなことはしてはいけないという意見もあるだろうし、私にとっては、ジャーナリズムもドキュメンタリーも同じである。そのような約束違反、契約破りでなければ伝えられない真実があるのは確かだと思う。問題はそれとどう付き合うかである。それをどこまで弾劾し、それをどこまで許すのか。
あなたが被害者であった場合、あなたの被害者としての声を取り上げてくれるジャーナリズムなりドキュメンタリーは、しかし、あなたの声を鮮明にするような枠組みやスト―リーに、あなたを押し込めるだろうし、公開されたくない情報も容赦なく暴露するだろう。これは、もしあなたがジャーナリズムやドキュメンタリーの当事者(取材対象)になった方なら、絶対に感ずる、被害者への暴力である。あなたは、それをどこまで許すのか。その判断の基準は、取材者の姿勢によると私は考える。
ジャーナリズムであれドキュメンタリーであり、その加害性がなければ、有効な取材ができないことは事実である。厚顔無恥で法令無私の悪辣な政治家の真実を暴くには、時には、冒険的な取材や物語の構築も必要であろう。皮肉なことに、巨悪を眠らせないその手法が、被害者に対しても用いられるのであって、被害者の場合は二度被害を受けることになる。
しかしジャーナリズムやドキュメンタリーが二次加害性を意識しているのなら、それはまだ救いがある。真実を突き止める喜びに、真実を構築する喜びが優ってしまうことがある、それがまずいのだ。
隠れた真実を可視化するために、真実を構築することに喜びを感じ、それが二次加害であることを忘れてしまったときに、ジャーナリズムやドキュメンタリーはいまわしい権威主義的なものになりかねない。なりかねないどころか、ジャーナリズムやドキュメンタリーの加害性(被害者にとっては二次加害性)に泣き、また憤っている人がどれほど多いか、私が遭遇したカメラクルーや、ジャーナリスト、ドキュメンタリー作家は忘れないでほしいのだ。
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