2025年01月05日

将棋は誰に教わる

昨年のことだが、しかし、昨年の12月のことで、まだ1か月はたっていない。昨年12月9日、日本経済新聞のネット・ニュースによれば
第72期将棋王座戦(日本経済新聞社主催、東海東京証券特別協賛)五番勝負を制し、初防衛を果たした藤井聡太王座(22)の就位式が9日、東京都内のホテルで開かれた。
【中略】
今回の五番勝負で藤井王座は永瀬拓矢九段(32)の挑戦を3勝0敗で退け、初めて王座を防衛した。8つあるタイトル戦全てで防衛に成功した初の棋士となった藤井王座は壇上で「初防衛を目指す立場だったが、気持ちのうえでは再び挑戦者として、前期よりよい内容の将棋を指せればと対局に臨んだ」と語った。
 「初防衛の藤井聡太王座が就位式 「再び挑戦する気持ちで」将棋王座戦」2024年12月9日、日本経済新聞の記事より

王座就任式に私はなんの関係もないのだが、この記事によれば、就任に対して祝辞を述べたのが若島正(京都大学名誉教授)氏であった。『日刊スポーツ』の記事によれば、
祝辞は、詰め将棋作家の若島正京大名誉教授【これでは漢字が多すぎて、どこで区切ったらよいかわからないと思うので、区切りを入れると、「若島 正」「京大」「名誉教授」である】が述べた。藤井は詰め将棋が得意で、小さい頃から数多く解いており、それが実戦の終盤力としていかされている。

若島教授は、「詰め将棋は、将棋の中に潜む可能性を引き出す。詰め将棋を通して、子どもの頃から将棋の奥深さを実感されている。さまざまな記録を塗り替えて、新手や藤井手筋を編み出して、将棋を奥深さを訴えてもらいたい」と期待していた。
『日刊スポーツ』2024年12月9日より

この若島 正・京大名誉教授と、12月10日に、ある会議に出席することになった。有名人好きの私としては、それこそサインでも貰おうかとか、いっしょのところを写メに撮ってもよいかと頼もうとも思ったのだが、あいにく、そのチャンスは訪れなかった。

ただ前日のネット記事では、藤井聡太――肩書というかタイトルをたくさんもっている藤井氏に対しては、どうお呼びするのがよいのか、若島先生にお聞きしようかと思ったが、これもその機会を逸したのだが、記事にならって藤井聡太王座としておくと、藤井聡太王座の話とともに、祝辞を述べた若島先生のことも、藤井王座が尊敬する詰め将棋作家として話題になっていた。

若島先生は高名な英文学者なので昔から会えば挨拶するくらいのつき合いはあるのだが、また将棋やチェスに強いということも有名だったが、詰め将棋作家でもあること、藤井王座が尊敬していることは知らなかった。

最近では、リチャード・パワーズの『黄金虫変奏曲』というたいへんな翻訳を上梓されたことは知っていたが、2024年に『詰将棋の誕生 『詰むや詰まざるや』を読み解く』(平凡社)を上梓されたことは知らなかった。したがって2024年12月9日、ネット上にあらわれた若島先生の将棋・チェス関係の功績に関する記事をいくつか興味深く読ませてもらった。記事のなかで、将棋を祖父から習ったということが私の関心をひいた。

祖父から将棋を教わったということを、ずいぶん前に若島先生から直接うかがったことはある。だから新情報ではないのだが、藤井王座も祖父母から将棋を習ったとWikipediaの記事にある。
幼少期
5歳であった2007年の夏、母方の祖父母から将棋の手ほどきを受けた。藤井の祖母は、3人の娘のところに生まれた孫達に囲碁と将棋のルールを順番に教えていた(祖母自身はルールを知る程度)。藤井は瞬く間に将棋のルールを覚え、将棋を指せる祖父が相手をしたが、秋になると、祖父は藤井に歯が立たなくなった。同年の12月には瀬戸市内の将棋教室に入会する。

藤井九段も祖父母から将棋の手ほどきを受けた。これを奇しくもというか、あるいは昔の人は孫に将棋を教えること、将棋の上手い下手は別にして、将棋が基本的教養になっていたのか、そこのところはまったく無知なのだが、ただ、藤井九段、若島正といった将棋の天才のほかにも、祖父母から将棋を習った人間を私は一人知っている。それは私である。

父方の祖父は、私が生まれたときには他界していたのだが、父方の祖母から私は将棋の手ほどきを受けた。祖母は、将棋のルールだけでなく、定石などもいつくも知っていて、実際に子供の私を相手に将棋をさした。残念ながら、私の祖母は人でなしというか人間のクズというべきか、まだ幼い子供を相手に将棋を指すときにも、負けず嫌いで、絶対に負けないのである。時には子供に勝たせて、成功体験を植え付け、将棋や勝負事にも関心を向けさせる、あるいは子供に自信をもたせようなどいう気持ちは皆無で、サディスティックに子供つまり私が負けるのを喜んでいた。祖母との対戦で、いくつかの定石も学んだ。定石が使える局面へと私を追い込み、定石によって完膚なきまでに子供の私はやっつけられたので。鬼婆であった。

定石は学んだが、それは屈辱的な敗北とともに学んだために、むしろ忘れたい記憶としてとどまるしかなかった。当然、子供の頃の私は将棋には興味を失った。一度も勝ったことがないので、将棋には近づかないほうがいいと学んだのである。

私の祖母がもうすこし寛容で子供に勝ちを譲るほどの心が広くてやさしい人間であったらなら、私は、藤井十段とか若島正氏ほどではないとしても、ある程度、将棋をさせる人間になっていたかもしれない。すべては鬼婆、いや私の祖母、ろくでなしの祖母、鬼婆が悪いのである。

将棋にまつわる子供の頃の嫌な思い出がよみがえったので、この正月に、妹に、このことを話してみた。すると妹も祖母から将棋の手ほどきをうけたという。妹は祖母や父と将棋をさして、勝ったことがあるという。

勝った? あの鬼婆と将棋で勝った?

嘘だろう。あの鬼婆は子供頃の私に一度も勝たせてくれなかった。

いや、間違いなく勝ったことがある。父親とも将棋を指して勝ったこともある、と妹。

……

……

私の祖母は鬼婆ではなかったのかもしれない。偏屈で負けず嫌いの祖母のせいで、将棋に勝たせてもらえず、将棋が嫌いになったというか、将棋への関心を失ったのだと、私はこの歳になるまでずっとそう考えていた。だが、そうではなかったのだ。私が将棋に弱かったのだ。祖母は私に勝たせよとしたのかもしれないが、私が勝手に負けていたのだ。つまり私の頭が悪かったのだ。藤井十段、若島正氏と肩をならべていたかもしれないというのは、なんという思いあがった愚かな妄想なのだろう。私は妹よりも頭が悪かった。自分の頭の悪さを棚にあげて、祖母を、人でなし、人間のクズ、鬼婆とののしっていたのだ。私は、なんという恥ずかしい人間なのだ。正月早々めげた。

posted by ohashi at 22:47| コメント | 更新情報をチェックする

2025年01月04日

『白衛軍』2

敵こそわが友

昨年12月新国立劇場でブルガーコフ原作の戯曲『白衛軍』(演出:上田聡史、翻訳:小田島創志)を自腹で観た。そして自腹でプログラムを購入したのだが、そのプログラムは充実した内容で、いろいろなことを教えてもらったが、同時に、疑問も多くわいてきた。

旧ロシア帝国軍人からなる白衛軍をウクライナ人民共和国軍で率いる将軍パウロー・スコロパードシクィイは、「ウクライナのヘーチマン」に選出されたので、白衛軍は「ヘーチマン軍」でもある。この「ヘーチマン」というのはウクライナ語をもとにしたカタカナ表記なのだが、今回『白衛軍』のシナリオを翻訳した小田島創志氏は「ゲトマン」と表記されている。私は、英語訳(The White Guard, translated by Michael Glenny)でこの作品を読んだから、頭のなかには「ヘトマンHetman」という表記がしみついていたのだが、ロシア語では「ゲトマン」となるのだろうと想像はついた。

岩波文庫で出始めたゲルツィンの回想録だが、私の手元にある英訳本では「ヘルツィン」である。英語読みするとそうなるがロシア語読みすれば「ゲルツィン」となるのだろう。それと同じで英語読みすると「ヘトマン」がロシア語読みでは「ゲトマン」そしてウクライナ語読みでは「ヘーチマン」ということだろうか。

しかしプログラムに「ウクライナの革命とキエフのロシア人」を寄稿されている村田優樹氏は、本文において初出時には「ヘトマン(ゲトマン)」と表記されているが、以後は「ヘトマン」とだけ表記している。いったいどういう表記が原音に近づくのだろうか。あるいはどういう表記でよしとすべきなのだろうか。

あと本題に入る前にもうひとつ。劇の第4幕ではクリスマス・ツリーがトゥルビン家の居間に置かれている。私が読んだ英語訳(今回の上演の英語訳とは異なる訳者によるもの)では、クリスマス・イヴにクリスマス・ツリーの飾りつけをしているとト書きにある。しかし、今回の舞台では、クリスマス・ツリーを片付けている。これも不思議で、どちらが原作に近いのだろうか。飾りつけか後片付けか。

私が読んだ英語訳では、ロシア圏での旧暦のクリスマス・イヴは、新歴では十二夜の前日であると注記してあった。十二夜というのはクリスマス・シーズンの終わりの日である。トゥルビン家の人々はクリスマス・イヴにツリーの飾りつけをしているのだが、新歴では、それはクリスマス休暇の終わりの前の晩なのである。クリスマス休暇の始まりの前夜とクリスマス休暇の終わりの前夜の共存。これは飾りつけと後片付けの2つのヴァージョンが生まれたことと関係しているのかもしれない。そしてトゥルビン家の人々にはクリスマスの始まりだが、新しい時代、新暦の時代にはクリスマスの終わりであって、まさに終わりの始まりという点で、この劇のテーマともひびきあう。そしてもう一度、問いたい。クリスマス・ツリーは飾り付けるの、飾りをとりはらうのか――原作では?

【なお私が読んだ英訳での第4幕のツリーの飾りつけに関する訳注の大意を記しておくと。
「1918年2月までロシアはユリウス暦を使用していた。20世紀において、ユリウス暦は、グレゴリオ暦(ロシア以外の国々で使われていた)よりも13日遅れる。グレゴリオ暦への転換以後もロシア人(ならびにロシア正教会)はユリウス暦で祭日を祝いつづけた。したがって第4幕は、グレゴリオ暦(新暦)では1月5日(十二夜の前夜)であるが、トゥルビン家の人々は、ほかのロシア人と同様に、その日がユリウス暦(旧暦)のクリスマス・イヴ(つまり12月24日)であるかのようにお祝いをしているのである。」】

ただもっと重要な問題というか情報は、スターリンがこの芝居を好み、リピーターであったということである。このことは「アプトン版『白衛軍』の原典としての『トゥルビン家の日々』」という文章のなかで大森雅子氏によって詳しく述べられている。『トゥルビン家の日々』は最初は大成功で作者の華々しいデビュー作品となったのだが、話題になるにつれて、白衛軍に身を投じた軍人と家族を描くことに対する批判が生まれてくる。窮地に陥った作者に救いの手を差し伸べたのは、スターリンだった。

私たちはスターリンのことを誤解しているのかもしれないが、本来だったら、こんな芝居を書いて大当たりした作者は粛清されてもおかしくない。そう私たちは考える。しかしスターリンはこの芝居が好きで少なくとも15回は観ていたとのこと。大森氏の説明を引用させていただく。
スターリンは『トゥルビン家の日々』を観て、「トゥルビン家のような人々までもが、武器を捨てて、民衆の意思に従わざるを得なくなり、自身の戦いが完全な敗北に終わったことを認めるならば、ボリシェヴィキは無敵ということだ。『トゥルビン家の日々』は、すべてを打ち砕くボリシェヴィズムの力を示している」と述べている。実は、『トゥルビン家の日々』では(またアプトン版の『白衛軍』でも)、ボリシェヴィキは戯曲の登場人物のなかにはいない。それでもスターリンは、白衛軍がキーウにおいて敗北する運命にあることを率直に描き出したブルガーコフの筆致の中に、「無敵」のボリシェヴィキの存在を嗅ぎ取り、『トゥルビン家の日々』をボリシェヴィキにとって都合の良い作品と見なしていた。

基本的にここに説明されているようなことだろうと思うのだが、ただスターリンが実は文学好き、芝居通であったとか、革命直後の時期へのノスタルジーに囚われていたというような方向に話題をすすめることなく、もう少し掘り下げてもいいのではないかと思う。

実際、なぜこのような作品が泣く子も黙るスターリン時代に許されたのかと不思議に思ったもうひとつの作品がある。ミハイル・ショーロホフの『静かなドン』という長編小説である(「静かな」というのはドン川にかかる枕詞のようなもの)。ソ連の社会主義リアリズムの代表的作家のひとりによる大河小説であり、ロシア革命前後の事件を扱う革命の叙事詩でもあるような作品が、なぜ、白軍(白衛軍)に身を投じ、ロシア各地を転戦する主人公の物語なのか。革命の叙事詩であるのなら、なぜ革命側、赤軍の視点から、歴史的大変動を描かないのか。革命軍側の物語が読めると思っていたら、白軍(白衛軍)しか出てこない。【なお小説の後半では、主人公は赤軍にも身を投ずる。とはいえ再び白衛軍に戻り、彼は完全に信用を失うののだが】

プロパガンダ作品に対しては嫌悪感しか持たない私だが、しかし、このようにプロパガンダ性が皆無のような作品に対しては、作者の意図がどのへんにあるのかみえなくて戸惑った。

いまとなっては、この大長編の内容はほぼ忘れてしまったのだが、しかし、中学生だったか高校生だったかも忘れたが、私は学校から帰ると、勉強もせずにこの作品を読みふけっていた記憶があるので、最後まで飽きることなく読み通せたくらいに十分に面白かったのだと思う。

【主人公はウクライナのドン・コサックの青年で、第一次大戦中、ドイツ軍と戦う。その戦いのさなかロシアで革命が起こり、ドイツと停戦してロシア軍は引き上げるのだが、ロシア領内で内戦が勃発する。主人公は白衛軍に身を投ずるという物語。最初、主人公は、馬に乗り槍をもってドイツ軍と戦うので、なんという戦法なのか、日本の戦国時代じゃあるまいしと違和感マックスだった。その違和感がなくなったのは、読んでからずっと後のこと、サム・ペキンパー監督の西部劇『ダンディー大佐』を観たときである。映画の終盤、アメリカの北軍の騎兵たちが、メキシコに進駐してきたフランス軍の騎兵と川のなかで激突する。乱戦になると銃器が使えず槍が実に有効な武器となることがわかった。と、まあそれほどまでに『静かなドン』は記憶には残っていた。】

プロパガンダ性も感じられないことがよかったのかもしれないが、しかし、ふと我に返ると、これは白衛軍に身を投じたドン・コサックの青年の話で、反革命勢力側の物語であって、ほんとうに大丈夫か。大丈夫だったようだが、では、これが許されたのはどうしてなのかと疑問がわいてきた。

あとになって知ったのだが、『静かなドン』はスターリンが大好きな本だったようだ。なぜ、好きだったのか。

『静かなドン』は、第一次大戦からロシア革命、そして内戦という激動の時代における社会の変化を白衛軍の側からみている。革命後の政権がどのようなかたちで改革を行い、国造りを行ったのか、またどのようにして大胆な、ときには過酷な改革を断行したのかについては、白衛軍の中から外をみるにすぎないために、よくわからない。よくわからないまま、白衛軍は赤軍に押され敗退を余儀なくされてゆく。時代の趨勢は革命政権のほうにあり、反革命運動は下火になるか失敗するしかなくなる。かくして年を経るにしたがい革命後の新たな社会主義体制は盤石なものとなり、もう後戻りはできないほど改革はすすんでゆく。

それに抵抗することはもうできない。ロシア革命によってもたらされた新たな生活と社会体制は、太古よりゆうぜんと流れるドン川、静かなドン川の流れをせき止めることができないと同じように、もう押しとどめることはできない段階に入っている。新しい生活は、革命による改革の痕跡を消し去り、いまや自然なものとなる。昔からあったもののように感じられる。ちょうど、悠久のドン川の流れのように。

おそらく社会主義の理念とか唯物史観における段階的変化とかを説くよりも、革命を「自然化」することのほうが、革命を定着するためには効果的なのであろう。そのためにも最初、革命に敵対していた人々が、あきらめて敗北を抱きしめること、みずからすすんで抱きしめることがなんとしても必要なのだ。赤色革命は変えようがない運命であり、唯一の選択肢なのだと、感覚的に納得することが重要なのである。最高最大のプロパガンダとは、プロパガンダなきプロパガンダなのである。このことを『静かなドン』はやってのけた。同じことはブルガーコフの『白衛軍』にもあてはまりはしないか。

まとめると、
1) 敵の側にたって、味方を外からみるようにすること。白軍にいる者の目線で、赤軍の動向を探る。その際、赤軍の詳しい動向はわからない。赤軍は、白軍にとって、遠くにいる不気味な他者として描かれる。これが次の重要な一手につながる。

2) 歴史的事実に即して、負ける側と勝利する側を区別する。白軍は敗退する側であり、赤軍は勝利する側である。赤軍は遠くにいる不気味な他者であるため動向はぼんやりとしかわからない。これは戦いの勝敗の原因が明確につかめないことにもなる。白軍の敗退は、白軍内の内紛とか腐敗によるものと想像できるのだが、赤軍側のどのような動きが勝利につながったのかわからない。ここで赤軍側のイデオロギーなり思想や倫理性が勝利につながったという露骨なプロパガンダは逆効果になるために、それは強調しない。また優位な軍事力による勝利であると、敗北する側を英雄視して利するために、勝敗は人間の意志ではなく思想でもなう善悪でもなくあくまでも運命によって決まるという印象をあたえる。このために勝利者側の赤軍については詳しく語られることはない。

3) 長い時の流れの果てにでもいいし、短いが重要な転機ともいえる事件の結果としてでもいいが、勝者側は運命によって勝者になり、この流れは抑えることのできない自然なものという印象が生まれる。勝利するのは隠れたプロパガンダである。反革命は、英雄的自己犠牲とか旧体制と国体の護持などの思想や美学を大義名分として掲げようとも、流れに取り残されて未来を失っている。そしてそれに反して、革命政権は、まさに革命的な登場、暴力的刷新や流血的改革をともなうものであったにもかかわらず、その斬新さの外貌は消え去り、新たな生活様式を、自然なもの、昔からあったもののようにして人々に受容させるのである。革命はいいも悪いもないう。ただ受け入れるべき民族の宿命となったのである。

ブルガーコフの『白衛軍』の最後に、チェーホフの『ワーニャ伯父さん』の最後のセリフが引かれるのは偶然ではないだろう。最後のソーニャのセリフをここで引用するのはやめようと思う。いつも、あのせりふを聞いたり読むたびに泣けてくるので。問題は、革命前の苦しい状況のなかで耐えてゆくことしかできない、耐えに耐えて、シェイクスピアのリア王のいう「あらゆる忍耐の雛型」the pattern of all patienceになるようなチェーホフの人物たちにとって、その苦しみ、その呻吟の原因は革命前のロシアであったとしたら、革命後のロシアでは、単純に考えれば、その苦しみも消えるはずである。『白衛軍』の最後で『ワーニャ伯父さん』の最後のセリフが引かれるのは、革命後あるいは赤軍の勝利の後も事態は好転するどころか、悪化の一途をたどるのではないかという作者の暗い予感と革命批判が原因だとするならば、あろうことか、スターリンは、そこに革命後の人々の望ましい心情をみたのである。

つまりたとえ革命に抵抗があったとしても、我慢して耐えてそれを受け入れるしかないのではないか。そうすればこれまでの苦しみも忘れ、いずれ一息つけるのだろう。こうロシアの人々、それも白衛軍に身を投じた軍人とかその親戚家族が思ってくれれば、革命は成功したも同じである。スターリンがこの芝居を好んだのは理由がないわけではなかった。革命はドン川の流れになろうとしているからである。

これはグラムシのいうヘゲモニーということかと言われればその通りである。ただしブルガーコフの『白衛軍』またそのあとに登場するもうひとつの白衛軍物語『静かなドン』の時代においても、革命を自然なもの抵抗できない運命とみるようなヘゲモニーはまだ十分に確立したわけではなかったと思われる。革命はいつなんどき転覆されるかわからなかった。そのためスターリンは、『白衛軍』のなかに、ヘゲモニーそのものではなく、ヘゲモニー確立の夢をヴィジョンを観たというべきだろう。

私はスターリン時代の粛清の実態について無知なので、とんちんかんなことを述べることになるのかもしれないが、あるいはすでに述べているのかもしれないが――あえて白衛軍物語(ブルガーコフの、また時代をくだってはショーロホフの)を許可したことに対しては、受容者の側に緊張が生まれたことは想像にかたくない。

反革命側の物語を受容することは、受容者が――その政治的立場はなんであれ――反革命側とみなされる危険性もある。だがこれが許されているということは、作品がゲリラ的な反体制的営為ではなく、それどころか革命側の意向に沿ったものだ思うしかない。では、どういう点で意向に沿っているのか。単純に考えれば白軍は負けるということである。白衛軍の歴史的使命は終わったということである。だが滅んでゆくものへの哀惜の念あるいはノスタルジアを作者が抱いていたとしても、なんらかのかたちで監視され粛清の対象となるかもしれない受容者には、それが求められていたとは思えない。

では受容者には何が求められるのか。それは、スターリンのヘゲモニーの成立の夢を、みずからの夢として引き受けることであろう。理屈でもない思想でもない哲学でもない、ただ受け入れること――革命を、ゆるぎない自然現象として受け入れるような心的傾向をもつこと。ヘゲモニーの夢を共有することである。

もし民主的な国家で言論や思想や信教の自由が保障されている場合は、これは反政府的・反体制的なゲリラ的あるいはテロ的な作品上演であろう。しかし統制国家・監視国家においては、一見ゲリラ的公演であっても、それが許可されている以上、政府とのなんらかの共謀が疑われる。そのため観客は舞台のなかにポジティヴなメッセージを読み取ろうとする。それが革命の受け入れである。あるいは革命が受け入れるであろうという想定であり予測である。観客が劇から、みずからが批判されないようなメッセージを見出すとき、観客はスターリンの姿勢と同調したことになる。おそらくこれはブルガーコフが関知しないどころか、夢にも思わなかったかもしれない。しかしスターリンにとっては観客のなかに望ましい心情を形成したことになる。

スターリンにとって、革命の英雄たちは、自身の地位を脅かしかねないために、次々と粛清されたようだが、白衛軍物語をこしらえ革命以前の時代へのノスタルジアにひたるような反革命勢力は敵でありながら同時に敵ではなかったということである。彼ら反革命勢力によって革命のヘゲモニー確立への道が開かれたのだから。

敵こそわが友であった。

エピローグ

『静かなドン』の作者ショーロホフも、スターリンと同じようなことを考えて、白衛軍物語である大河小説を書いたのだろうと私は考えていた。しかし『静かなドン』の分厚い英語訳版のイントロには驚くべきことが書かれていた。

『静かなドン』は1926年(『白衛軍』初演の年)から1940年にかけての雑誌連載を本にしたものである。白衛軍に身を投じた主人公という設定には危険なものがあったが、さらに革命政権の強圧的な改革が赤裸々に描かれている部分があって、これが連載時には検閲にひっかり、連載中止の可能性が出てきた。このときショーロホフ(当時20代前半)はゴーリキーの紹介でスターリンと直談判することになった。ショーロホフとスターリンとの短い会合で何が話し合われたのかわからないが、ただ、その結果、連載再開が認められたのである。

ブルガーコフに寛容な態度を示したスターリンには、同じ白衛軍物語を書きつつあったショーロホフにも寛容な態度を示した。いったいスターリンはどういう人間なのだと言いたくなるが、それは的確な政治的判断だったのかもしれない。

『白衛軍』の上演プログラムには「ブルガーコフの生涯と作品」という短い記事があり(ヴァレリー・グレチュコ/増本浩子訳)、そのなかで若き天才詩人マヤコフスキーが自殺した直後のことで、世間を騒がせるような自殺者がもうひとり出ることをスターリンが嫌ったからではないかと書かれている。

【ちなみに1930年「4月17日の葬儀には15万人の人々が参列し、レーニン、スターリンの葬儀に次ぐ規模となった」とWikipediaは書いているが、このときスターリンはまだ死んでいない】

ショーロホフの場合はどうか。彼は20代になったばかりの頃に『静かなドン』の連載をはじめた天才的作家だったが、その作風は、伝統的なあるいは保守的なリアリズムである。革命政権に批判的なことを書いているようだが、赤軍としても戦ったショーロホフは政権にとっても利用価値の高い作家と判断したようだ。おそらくこの判断には、当時、ロシア・フォルマリズムの流行が影を落としていた。フォルマリズムというわけのわからない、エリート的、前衛的、文学理論は、ショーロホフのリアリズム小説に比べたら大衆受けもしない、大学人がもてあそぶブルジョワ理論としかみなされなかった。事実、ショーロホフに温情が示されたのとは対照的に、この時期、フォルマリズムは弾圧され、やがてフランス構造主義に見出されるまで歴史から消えることになる。

とはいえショーロホフがいくらソヴィエト政権にとって気に入られた作家だったとしても、『静かなドン』を書いたのは、敵を描くことで味方を強化するという文化的ヘゲモニー形成に加担する意図はおそらくなく、たんに社会主義政権が気に入らなかったからだ。それが今にしてみればわかる。『静かなドン』は、端的にいって、反革命の小説である。滅びゆく旧勢力とドン・コサックに捧げられたレクイエムである。前衛的(とまではいえないかもしれないが、また『白衛軍』はチェーホフ的なのだが)・モダニズム的ブルガーコフと、保守的なショーロホフがともに、ロシア革命によって失われた世界のレクイエムを作っていたのである。
posted by ohashi at 22:52| 演劇 | 更新情報をチェックする

2025年01月03日

わたし失敗するので

昨年(2024年)の夏ごろに公開されていた『インサイドヘッド2』(Inside Out 2, 2024)が、12月に入ってからいくいつかの動画配信でみることができるようになった。そのため、あらためてこのアニメ映画の興味深いところを指摘しておきたい。

とはいえ誰もが気づくところなのだが。

前作『インサイドヘッド』のときから成長して思春期の女の子になったライリー・アンダーセンには、これまでのヨコロビ(Joy)、カナシミ(Sadness)、イカリ(Anger)、ムカムカ(Disgust)、ビビり(Fear)の5つの感情のほかに、新たにシンパイ(Anxiety)、イイナー(Envy)、ハズカシ(Embarrassment)、ダリイ(Ennui)、そしてナツカシ(Nostalgia)の5つの感情が加わる。というか、この新たな5つの感情が、それまでの古い5つの感情(子供っぽいストレートな感情)にとってかわるというか、それまでの感情を周辺に追いやり、主流に収まることになる。脳内における感情の覇権争いが物語のメインになる。

前作において5つの感情のうち、中心となるのがヨコロビ(Joy)だったが、成長をとげたライリーの頭のなかに出現する5つの感情のうち中心となるのがシンパイ(Anxiety)である。これがどういうことになるのか。私にとって、それは予想外の展開となった。

ライリーは、明日、アイスホッケーの練習試合がある。この試合は高校生のチームに、ライリーら中学生が混じって行なう試合で、ここで活躍して、コーチにも、またチームメイトにも認められ、強いアイス・ホッケーチームを擁する高校への進学を有利に進めるというのが、ライリーの願望である。ライリーがアイス・ホッケーの選手というのは前作と同じ設定である。

試合前日の夜、眠っているライリーの頭のなかで何が起こっているのかというと、「わたし失敗するので」と自分に言い聞かせることだった。これには驚いた。

ふつう、重要な試合に臨む場合、過去の成功体験をもとに、脳内で試合をシミュレートして、作戦を練ると同時に「わたし失敗しないので」と自分に言い聞かせてリラックスするのではないかと思う。わたしはアスリートではないのだが、そんなふうに考えた。

ところがライリーの頭のなかでは、たとえば自分が試合の際にしくじって相手チームに大量得点をあたえてしまい、チームメイトからは非難され、コーチからは叱責され、高校生のメンバーや、自分の仲間の中学生メンバーからも後ろ指をさされてチームを追われるというイメージが脳内に定着する。そしてそのような失敗するイメージを可能な限り多くこしらえ蓄積することを脳内で行なうのである。これでは明るい明日どころか、絶望の未来しか頭に浮かんでこない。そんな状態で翌日の試合に臨むのである。

「わたし失敗しないので」ではなく「わたし絶対に失敗するので」がまるで呪文のように頭をよぎり、この呪文で自分自身を追い込み追い詰め、そこで、もうやけくそになって暴れまくる、それが運動能力の爆発的な向上となり、すぐれたパフォーマンスとなってあらわれる。自分は失敗すると思い込んでいる彼女が試合で大活躍するのである。

繰り返すが、「わたし失敗しないので」とポジティヴに考え、成功体験をもとにリラックスして試合に臨んで、もてる能力を発揮する場合と、「わたし失敗するので」とネガティヴに考え、自分を追い詰め不安と緊張によって自分を締め上げ、それが爆発的な能力の向上への引き金となるというのは、どちらもありうることである。ただ一般的には後者の可能性については、日本では、考慮の埒外に置かれていたのかもしれないが、この『インサイドヘッド2』では、それが常態であり、常識化していることに驚いた。

思い当たるふしがないでもない。私は東京大学の教員だったが、東大生の自己評価は低い。優秀な学生であればあるほど自己評価が低いように思われた。それが不思議だった。

実際、こんなに優秀な学生が、どうして自信を喪失するのか、不思議でたまらなかったことがある。見栄でも謙遜でもなんでもなく、ほんとうに自分はダメだと考えている学生が、最終的には誰にもひけをとらない優秀な成績をおさめ、卓越した成果をあげることが、東大ではふつうに起きていた。

その秘密というかからくりは、自己評価を低くするときには徹底して低くして自分を追いつめることであった。「向上心がない奴はだめだ」というとき、たんにただがんばるという気持ちだけで向上できるものではない。自分の未熟さを真摯に受け止め、失敗の必然性を納得し、苦しくて泣きだしそうなるほど絶望して自分を追い込むことではじめて、向上できるのである。そのためには自己評価を下げねばならない。

もちろんこのプロセスには危険がともなう。『インサドヘッド2』では、ヨロコビ(Joy)がシンパイ(Anxiety)に主導権を奪われる。それが子供から大人への成長の証しとして当然されているようだが、しかしシンパイ(Anxiety)が脳内で他の感情をコントロールし、行為の方向性を決定するというのは、それ自体で、心配な面がある。

実際、『インサイドヘッド2』における、このネガティヴな不安と絶望によって能力の爆発的向上をはかるという工程は、不安と焦燥がさらなる不安と焦燥へを招くという負のスパイラルから抜け出せなくなるという危険性を伴うことになる。ダメだと自分に言い聞かせることによって、ほんとにダメになってしまう危険性がある。シンパイ(Anxiety)の暴走によって神経症が引き起こされる可能性がある。

実際『インサイドヘッド2』ではそれが起こる。主導権を握ったシンパイ(Anxiety)が暴走して収拾がつかなくなる。それをとめるのが、かつて感情の主導権を握っていたヨロコビ(Joy)である。おそらくそれは緊張からの解放をめざすこと、ひたすら向上することだけでなく時には休息する必要があることの自覚であり、おそらくこれが最終的に大人へと成長することであるという暗示がある。

古い5つの感情が、新しい5つの感情に追いやられるということが大人への成長ではない。新たに覇権をにぎった新しい5つの感情が、暴走することなく、古い感情とも和解し協力しあえるようになることが、大人へのほんとうの成長だったのである。
posted by ohashi at 23:23| 映画 | 更新情報をチェックする

2025年01月02日

御器所

以下のネット記事が目についた。
「撫牛子」「御器所」「放出」「十六島」←全部読める? 全国4700人が答えた「他県民には読めない地元の地名」発表 オトナンサー編集部 の意見 • 2025年1月2日

ソニー生命保険(東京都千代田区)が「47都道府県別 生活意識調査2024」を実施。「他の都道府県の県民には読めないと思う地元の地名」についての結果を発表しました。

調査は2024年10月18日から同月28日、全国の20~59歳の男女を対象に、インターネットリサーチで実施。計4700人(各都道府県100人)から有効回答を得ています。

「他の都道府県の県民には読めないと思う地元の地名」について各都道府県の在住者に聞いたところ(自由回答)、北海道では「倶知安(くっちゃん)」、青森県では「撫牛子(ないじょうし)」、千葉県では「匝瑳(そうさ)」、富山県では「石動(いするぎ)」、長野県では「麻績(おみ)」、愛知県では「御器所(ごきそ)」などの回答が。

また、京都府では「間人(たいざ)」、大阪府では「放出(はなてん)」、奈良県では「京終(きょうばて)」、島根県では「十六島(うっぷるい)」、福岡県では「雑餉隈(ざっしょのくま)」、長崎県では「女の都(めのと)」、宮崎県では「都城(みやこのじょう)」といった回答が集まったということです。

あなたの地元にある「他の都道府県の県民には読めないと思う地名」は、どんな名前ですか?

この記事で、愛知県では「御器所(ごきそ)」という回答があったということだが、やはり、これは読めないか。

私には読める。実際、パソコンで「ごきそ」と打つと、「御器所」に変換される。だからPCのデータに入っている地名なのだが、それとはべつになぜ私に読めるのかというと、私は名古屋市の昭和区の御器所(ごきそ)という地名のところに住んでいたからである。子供の頃からずっと成人するまで。だから子供のころから親しんだ、またいまとなってはなつかしい地名なのだが、それがよりにもよって、愛知県のなかの読めない地名の例としてあがるとは。

正月早々、縁起がいいのか悪いのかわからないのだが。
posted by ohashi at 23:13| コメント | 更新情報をチェックする

『正体』

監督:藤井道人。2024年11月29日公開
【冤罪とか警察の捜査方法とか死刑制度などについて、この映画をめぐっていろいろ語られているので、ここでは映画の様式あるは形態に集中して語ることを許していただきたい。】

映画の冒頭近くで、脱獄した死刑囚・鏑木慶一/横浜流星を追ってきた刑事・又貫征吾/山田孝之が、脱獄後の鏑木/横浜流星と接触した数人と対峙する場面がある。左側に刑事/山田、右側に関係者が位置して、対峙するふたりの横顔が画面を占める。鏑木/横浜と接触した数人は、鏑木/横浜が嘘をついていた、あるいは何も語らなかったので、脱獄し指名手配された人間とは気づかなかったと口をそろえて証言する。いらだちを隠せない刑事/山田の顔が、最後に、正面から映し出される。それは取り調べたこの数人の特定の誰かではなく全員に語りかけている、あるいは全員に同じことを語りかけているという印象をあたえるのだが……。あなたたちは、彼の正体を見破れなかったのですか、と。そして次にタイトル「正体」の文字が大きく画面にでる。

私たちと言ってもいいのだが、つまり私と同じような平均的な知力をもつ平均的な観客、私たちは、ここで脱獄囚が、その逃亡生活のなかで、こうした人たちと接触し、彼らをもののみごとに騙しおおせたのだろう、そういう物語の映画にちがいないと予想する。そしてさらに予想する、彼が、その狡知によって、いかに正体を見破られずにすごしたのか、それが映画の醍醐味となるだろう、と。

だが映画の最後になって、刑事と関係者が横向きで対峙するこの冒頭の場面は、最初とは異なる意味合いを帯びることに気づくことになる。

これは私が勝手に、あるいは気まぐれに、冒頭の場面を思い出したということではない。映画の最後のほうでも、この対峙の場面がもう一度出てくるのだ。対峙する右側の人物(つまり彼と接触していた人たち)は同じであり、左側の人物だけが異なる。左側の人物は、刑事ではなく鏑木/横浜流星であり、彼は収監され、いま面会室でガラス越しに対峙しているのである。そして彼と接触している人物たちはみな口をそろえて、彼の無実が立証されることを信じ、彼を励ますのである。

【ここですでにネタバレを一つ。原作では鏑木は最後に殺され、生きているうちに冤罪を晴らすことができなかった。映画では彼は銃で撃たれるものの一命をとりとめ、収監され、裁判に臨むことになる。なお、以下、ネタバレを含む記述となるので注意。】

この最後の場面、正確には裁判で判決が言い渡される前の収監中の鏑木と、関係者が対峙する場面は、冒頭の同じような対峙の場面(おそらくは警察の取調室での)を思い起こさせるものであり、冒頭の対峙場面の再考を観る者に迫るのである。

冒頭で、刑事・又貫征吾/山田孝之は、彼の正体が見抜けなかったのかと咎めるように言い放す。だが、映画を観終わったか、観終わりそうになっている観客にはわかる。彼らは正体を見抜いていた。鏑木慶一/横浜流星が、指名手配されている脱獄囚であることを、そして彼が人殺しなどしない無実の人間であることを。そうこの映画は、狡猾な脱獄囚が出会った人びとを騙して逃げおおせる話ではなかった。彼と出会った人々が、騙されるのではなく、彼の正体を知るようになる話だと。そして彼の正体を知るようになった人びとはみな彼を愛するようになるのだ、と。誰一人としてだまされてはいなかった。誰一人として正体を見失うことはなかった。

この冒頭の場面は、こうして最初の印象とは異なるものとなるのだが、異なるのはそれだけではない。刑事/山田孝之は、彼の正体を見破れなかったのですかと問うのだが、その問いは、刑事自身にもはねかえってくる。刑事は、鏑木/横浜の正体をほんとうにわからなかったのか。いや、ひょっとしたら刑事/山田自身、鏑木/横浜が無実であることを最初からわかっていたのではないか、彼は正体を見破っていたのではなかったか。

かくして冒頭の対峙する場面は、無知をテーマにしているかにみえて、実は、洞察をテーマとした場面へと反転する。

これが冒頭の対峙場面の正体である。

無知を装った洞察、あるいは洞察を語れない沈黙といってもいい。鏑木慶一/横浜流星が逃亡するときの方法が壮絶なのだが、彼は独房でガラスの破片かなにかで自分の口の中を、舌を傷つける。口腔内からおびただしい出血をする。それを吐血と思わせることによって、彼は救急車で刑務所から病院へと運ばれる。その途中で救急車から逃げ出すのである。

この、ある意味、狡猾な、そしてその命がけの脱出方法には感動すら覚えるのだが、同時に、そこにはアレゴリカルな意味も込められている。口を舌を傷つけることは、彼が無実を主張しても聞き入れてもらえなかったこと、声を言葉を失ったも同じ状態であったことを、私たちに強く印象付けるのである。

となると冒頭の対峙場面における彼と接触した人びとの無知(思われるもの)も、彼の無実を主張したい声を封じられていたことのアレゴリーともとれないことはない。実際、彼と接触した人びとは、やがて連帯し、彼の無実を主張する運動を起こすまでになる。声を奪われていた彼に声をあたえる人びとがあらわれてくるのである。

無知から知へ、無音・無声・沈黙から音と声そして主張への変遷は、映画の最後の判決申し渡しの場面でも繰り広げられる。

いま変遷といったが、反転といったほうがいいのかもしれない。冒頭の対峙場面が無知から知へと反転する。この場面の刑事の問いかけが、問いかける者つまり刑事へと反転する。問う者が問われる者になるという反転。

ここで思い出されるのが鏑木慶一/横浜流星が、ジャーナリストの安藤沙耶香/吉岡里帆の住居に隠れていたところ刑事たちに踏み込まれ窓から街路へと飛び降りて逃げ出すシーンである。住宅街か商店街かどちらともつかないところだが、人通りの多い場所を彼は必死で逃走する。ワンテイク・ワンシーンで撮られていたと記憶するが、迫力のあるこの逃亡シーンにおいて、街の人びとは彼の行く手を阻む敵でもある。おそらくは全員エキストラなのだろうが、観ている側からすると、一般人を巻き込むゲリラ撮影をしているとしか思えず、道行く人びとが、彼の逃走経路上の障害物にしかみえず、ごく普通の庶民ともいえる人びとが凶悪な妨害者・通報者・監視者にもみえてくるというパラノイアを観客は主人公と共有できてしまう(なお彼は川に飛び降りて逃げおおせるのだが)。

逃亡者である彼にとって、妨害者・通報者・監視者でしかない人びとの群れは、映画の最後のほうには、反転して、彼を冤罪事件・誤認逮捕の被害者として再捜査を求める声をあげる人びとへと変わってゆく。敵とみえていたものが、味方へと反転する。それは鏑木/横浜流星が事件の真相を追い、自己の無実を証明するために奔走するなかで多くの人と接触してきたことによって、彼の支援者たちをはぐくむことにもなったからである。

その行程は、一方で彼の存在を警察に通報することになっても、他方で、彼の支援者をつくりだした。敵と味方とが、不分明にまざりあり、それが最後には、味方だったとわかる。敵と即断することなく味方であることを見極めよ。あるいは敵が味方となることはある――これが最後の判決言い渡しの場面に劇的なかたちで反復される。

裁判所で判決が言い渡されるとき、傍証席にいる安藤沙耶香/吉岡里帆の顔が大きく映し出されるのだが、判決が言い渡されているとき、音が消える。無音で映像だけとなる(心理的に解釈すれば、判決を聞く前の彼女の極度の緊張状態から、茫然自失となり周囲の音が聴こえなくなったということだろうか)。彼女の周囲の人は判決を聞いて興奮している。なかには拍手している傍聴者もいる。だが無音なので、判決内容がわからない。拍手している人は彼が無罪を勝ち取ったことに対して拍手しているのか、凶悪な死刑囚の逃亡犯にこれでようやく正義の鉄槌がふりおろされ極刑が言い渡された、このことに拍手しているのかわからない。無音のまま、私たちは、傍聴席の人々の顔やふるまいをつぶさに観察することになる。そして彼の支援者が満面の笑みを浮かべて拍手している様をみて、確信する。無罪判決だったのだ、と。と、このとき音が戻る。無罪判決に沸き立つ傍聴席、そして笑顔をみせる横浜流星。エンドクレジットがはじまる。

この判決言い渡しの場面が、映画全体の集約となっていることは詳しく語る必要はないだろう。またそれは奇をてらった演出ではなく、映画のロジックの延長線上に確固たるかたち位置づけれる映像表現であることは、どれほど強調しても強調したりないのであるが。

結局、正体とは、死刑囚の逃亡犯の無実の正体であっただけでなく、彼の正体を見抜き、彼を支援する人たちを集わせる社会のありようでもあったのだ。凶悪な犯罪者の正体は、無実の無垢の高校生だった。誤認逮捕した刑事や警察はまた再捜査を決断する真相究明者でもあった。凶悪殺人犯を糾弾した世論はまた冤罪事件を糾弾する正義の声でもあった。敵の正体は、敵ではなかったかもしれない。あるいは敵の正体が味方であると信ずること。そしてその化学変化を、そのプロセスをみきわめること、それがこの映画の映像表現の賭けだったのだ。
posted by ohashi at 22:58| 映画 | 更新情報をチェックする