2019年03月19日

『ROMA/ローマ』

ROMA/ローマ』(Roma)は、アルフォンソ・キュアロン監督・脚本・共同製作・共同編集による米墨合作のドラマ映画である。1970年と1971年を舞台としたこの映画はメキシコシティで育ったキュアロンの半自伝的な物語であり、とある中流家庭とその家政婦の日常が描かれている。タイトルはメキシコシティ近郊のコロニア・ローマに基づいている。Wikipediaより


すでにNETFLIXで配信されている映画だが、NETFLIXを見ることのできない私は、さいわい都内の近くの映画館でみることができた。イオンシネマ系列だが、都内ではここだけというのも、珍しいのだが。


モノクロの映画ということで、地味な芸術系映画を予想し、娯楽映画ではなさそうだと覚悟を決めたのだが、いや、これはすごい映画で、各国で、いろいろな賞を獲得したのは十分に納得できる。これほど美しいモノクロ映像をみたことはないし、これほど淡々と事件が起こり続ける、緊迫感にみちた日常を経験したこがない。つまり、ここにある日常は、単調さと緊張とが踵を接していて、見るものは、決して気を抜くことがない。


鮮明な色彩を感じ取れる、深いモノクロ映像は、そのひとつひとつがモノクロの芸術写真となっている(もともと芸術写真というのは、モノクロなのだが)。


また最後のほうの海のシーンの迫力には圧倒されるが、寄せては返す波のように記憶の波のなかを往復する映画と、うがったことを書いていたレヴューがネットにあったのだが、波にのまれそうになった子供たちを救出する家政婦のクレオ自身が、記憶のかなたに飲み込まれそうになったところ、この映画に救われたということもいえよう。最後の献辞は、このクレオのモデルとなった女性で、監督の家の家政婦であった女性である。


実際、この海の場面は、冒頭のタイトルシーンともつながることになる。冒頭、中庭の床のタイルか敷石が固定カメラによって映し出される。掃除中で、ときおり、そこに水が流される。床に水が流されると、水面に中庭から見上げられる空の一角がうつしだされる。水が流れ、また水が流される。この動きは、波がうちよせつづける、この海の場面とつながっている。海はまた、一方で、喜びも悲しみも洗い流す自然のダイナミックな運動そのものを暗示する。


海のシーンで代表されるような横移動の撮影は、この映画では多用される。山火事の場面から、翌日の場面、みな横方向に歩いている。映画館に行くシーンでも。また海の場面でも。そして、そこに垂直方向の動きが加わる。この地域では5分に一度、空を横切る、旅客機が情報への視線をいざなうだろう。またクレオ自身の動きが垂直方向の動きと関係してくる。最後、彼女が屋上の物干し場へと階段を上ってくところで終わる。固定カメラがしたから見上げつづけるなか、旅客気が空を横切り、エンドクレジットがながれる。屋上へ行って見えなくなった彼女、上空の航空機、それは彼女が昇天したイメージともとれるし、彼女の居場所が天上であり、彼女は地上に降り立っていた天使だというようなイメージともとれる。日常の光景が、リアルさを、具体的特殊性を維持しつつ、寓意性をつねに寄り添わせているのである。


カメラを固定するのは、映画を撮るときの鉄則かもしれない。素人が映像というか動画を撮ると、ついついカメラをあちこちに動かして、画面を魅力のないものに変えてしまうのだが、映画ではカメラは、固定されることが多い。そして固定されたカメラのなかに、様々な日常音が入り込んでくる。まさに視覚映像と聴覚映像を実現するパッシヴなカメラワークは、同時に、クレオ自身の控えめな、パッシヴな生き方と通ずるものがあるのだろう。彼女は、強い自己主張をすることなく、パッシヴな生き方のなかに、周囲の現実を、だれよりも、誠実に受け止めているのである。


もちろん映画は、女性たちの自立物語でもあって、女性たちへのオマージュにもなっている。


動物たちとの共存を含め、何度でも見直し、考え直し、感銘をうけたい映画である。



posted by ohashi at 09:39| 映画 | 更新情報をチェックする

2019年03月18日

退職にあたって 1

コメント集1

随時追加予定


退職記念パーティでいただいたコメントというかスピーチは、どれもありがたいものだったが、どれも正直いって、私とは別人に対するコメントのようで、あらためて私とはこういう人間だったのかと思い知らされたのだが、それはともかく、いただいたスピーチのなかで興味深いもののについて、随時考察する。


といえ、こう述べると、私がヒーローのような中心人物のようだが、実際には、卒業生が、自分の青春の日々をふりかえり、なつかしむ貴重な機会を、私の退職が提供するということなので、私はほんとうはわき役にすぎない。


  1. メトニミー

私が、過去、批評理論とか文学理論の講義のなかでメタファーとメトニミーの説明として、学生から聞いた話として、「私と、私が白豚をひっぱっている」これがメトニミーだと説明したということを例にひいていた。明らかに悪意あるコメントで、こんなシュールな例で、メトニミーについて何もわかるはずもない。学生から聞いた話ということだが、学生の話がいい加減だったというよりも、学生の話を意図的に歪曲して捉えたものだろうか。あるいはわざわざ無意味なものに変えたのだろう。そうでなければはっきりいって、このスピーチをした人は、こうは思いたくないのだが、頭おかしい。


今回いろいろな人のスピーチを聞きながら、私がそんなことを言ったのだろうかという思い、もしくは私がいろいろなことを忘れていることを痛感したのだが、この白豚の話は覚えている。最近は近年は例にあげなくなった。白豚は、私のことでもあるのだが、一時、糖尿病で急激に減量して、白豚ではなくなった時期があったのだが、まあ、最近、また白豚にもどりつつあった、いやもどったので、授業で使う機会もできたのだが、授業そのものをすることはないので、どうでもよくなった。


メタファーとメトニミーの説明で、たとえば「白豚先生」というあだ名の人がいたとする。この場合、ふつう、その先生を、愛情をこめて「白豚」と表現しり、悪意をこめて小ばかにして「白豚」といっているのではないか、そして本人は、色白で太っていると推理するかもしれない。もしこの推理があたっていれば、「白豚」というのは、その人を示すメタファーである(この場合、愛称か蔑称かは、関係ない)


しかし、そうでない場合もある。もし、本人が、色白で太っていて豚を思わせる体型とか容貌ではなかった場合、なぜ、この人が「白豚」と呼ばれているのかと調べてみると、たとえば、その先生が、白い豚をペットにしていて(豚は頭のいい動物らしく、ペットにするのは可能らしいが)、いつも、自分のペットの白い豚の話をする。そのため、いつしか「白豚先生」というあだ名がついたとする。この場合、「白豚先生」というはメトニミーである。メトニミーというのは、部分で全体をあらわす用法で、その先生が勝っているペット(白豚)で、その先生そのものを表現するから、典型的なメトニミーである。


実際、「ベクトル先生」と呼ばれている教員が実際にいたという話を学生から聞いたことがある。数学とか物理で使う「ベクトル」(英語ではVector)から想像すると、まるでベクトルの表示記号のように痩せているか、細面で、とんがっているような体系とか容貌を想像したのだが、「ベクトル先生」の名前の由来は、そうではなく、授業中に、ベクトル関連の、面白い話をして、それが印象的だったのか、いつもベクトルについて話をしていたか、そんな理由で、ベクトル先生のあだ名がついたらしい。


あだ名はメタファー型とメトニミー型がある。ただ一般にはメタファー型を想像するかもしれないが、メトニミー型の場合もあること。つまり、ひとつ語なりフレーズが、メタファーにもメトニミーにもなりうるということである。


さらにいうと、ベクトル先生とはちがって、白豚先生という場合、そのあだ名の由来がメトニミーであったとしても、そこにメタファー的なニュアンスをこめていることもある。「ホワイトハウス」という表現がそうで、「ホワイトハウス」はアメリカ合衆国大統領官邸という意味だけでなく、大統領そのもの、大統領府とか合衆国政府を意味するメトニミーであるが、同時に、メタファーの機能も帯びていて、「ホワイトハウス」という表現が、肯定的なプラス価値を匂わせているともいえる。これは9割メトニミーだが、1割くらいメタファー的な含意もあるということになる。


以上、講義終わり。これを「私が、豚にひもをつけて歩いている」という表現によって、メトニミーを説明しようとしたという逸話は、よほどのバカか、よほどのワルが考えそうなでっち上げである。


2 修道士ロレンス


記念パーティには、劇団カクシンハンを主催する木村龍之介氏と、同じくカクシンハンの岩崎雄大氏が来てくれた。記念パーティは、基本的に、東大英文学会の会員(つまり英文の卒業生や修了生、つまり英文研究室に所属した者)しか参加できないので、お二人が、わざわざ私の退職を記念してかけつけたというとうことではなく、英文学会の会員として参加されただけなのだが、演出家の木村龍之介氏にスピーチをお願いした。ただし、私は送られる立場なので、誰にスピーチをお願いするかは、私が決めたことではない。したがって木村氏のお願いしたのは英文研究室の教員なのだが、演劇界ではいまや著名な木村氏だが、演劇関係者以外のところにも、その名声が届いているということだろう。そうでなければ、英文研究室の教員(演劇専門ではない)がスピーチをお願いすることはない。


木村龍之介氏のスピーチは、りっぱなもので、ここで再録できないのがきわめて残念なのだが、そのなかで、私のことを、木村氏にとって、『ロミオとジュリエット』に登場するロレンス修道士になぞらえたのだが、それはそれで、私にとっては、最大の褒め言葉みたいなものだったが。


そのことが二次会で、たまたま私の周囲の人たちの間で話題となって、ロレンス修道士になぞらえるのは、おかしい。ロレンス修道士は、ロミオとジュリエットを結婚させて、二人が死ぬ原因をつくった張本人である。そんな悪人を、大橋先生になぞらえるというのは、おかしいということになった。


しかし木村龍之介氏は2月にカクシンハン・スタディオで、『ロミオとジュリエット』を演出したばかりである。このブログでも紹介したように、みごとな舞台で、しかも台詞の省略も少なく、本格的なシェイクスピア劇上演だった。その彼が、無知で、不適切な人物に、私をなぞらえたということはありえない。


『ロミオとジュリエット』のロレンス修道士は、二人を結婚させ、その2日、3日後に、二人が死ぬ原因をつくった人だが、善意の人である。憎みあう両家の息子と娘を結婚させることで、両家の不和を解消しようとした。ただ偶然が重なり、計画どおりにいかなくて、二人の死を招くことになる。ロレンス修道士の介入がなければ悲劇は成立しなかった。彼の科学的知識によって、仮死状態になるいかがわしい薬を使わなければ、悲劇はうまれなかった。このことをもってして、21世紀になってからはロレンス修道士を否定的にとらえる解釈が生まれてきたのも事実である。しかし、彼が、犯罪者や悪人だというわけではないのだ。


たとえばロミオとジュリエットが、天国で、ロレンス修道士に再会したとしよう。そのときふたりは、ロレンス修道士に対して、あなたが私たちを結婚させなかったから悲劇は生まれなかった、二人は、地上で結ばれることはなく、若死にすることもなく、長寿をまっとうしたかもしれない。あなたが、あれこれ画策しなかったら、ふたりはもっと幸せだったと、ロレンス修道士を非難するだろうか。


ファンタジーであっても、論理と現実性はある。もしふたりがロレンス修道士を非難したら、『ロミオとジュリエット』とは、ずいぶん貧相な、上演するにあたらない凡庸で陳腐な劇にすぎないだろう。おそらく、ロレンス修道士の介入がなければ、結婚することもなく、ふたりとも長寿を全うしたかもしれないが、その人生は、おそらく愛のない、無味乾燥な凡庸極まりない、くそみたいな人生であったに違いない。それよりもロレンス修道士のおかげで、たった二日であっても、その短い一瞬の時間に永遠の愛を経験できたし、またあっというまに死に突き進むことになるが、それによって人生の汚れとは無縁だった。汚れなき閃光のような人生――それを可能にしてくれたのはロレンス修道士の介入である。不手際と先見の明のなさによって悲劇を招いたことを詫びるロレンス修道士に対して、二人は非難するどころか感謝さえするだろう。また、そのような想像を可能にしないのなら、『ロミオとジュリエット』は、つまらない悲劇にすぎない。


さらにいえばロレンス修道士の悪いイメージには、そのカトリック性が寄与している。いやヴェローナを舞台にしているのだから、ロレンス修道士は最初からカトリックだと、つっこまれるかもしれない。修道士という身分も、プロテスタント・イングランドからはなくなっていた。しかし本来のカトリック性を、その修道士性が、また、その薬草栽培をはじめとする、その魔術的実践が、二乗化している。だからロレンス修道士は、当時のプロテスタントの観客にとって、いかがわしい、詐欺師的策士の影を帯びている。


事実、そうなのだ。私の最終講義のなかで発展はさせられなかったのだが、プロスペロのような魔術師、あるいは隠遁した賢者で魔術を使える人間は、プロテスタント・イングランドでは批判されるべきカトリック性を強く帯びていた。だからロレンス修道士も、プロテスタントの観客にとっては、否定的存在なのである。


だが、シェイクスピアは、隠れカトリックであったことをふまえると、シェイクスピアはロレンス修道士に対して、むしろ親近感を覚え、みずからの分身として扱ったのではないか。ロレンス修道士も、演出家・劇作家であり、そしてカトリックである。ロレンス修道士は、シェイクスピアの分身であるといえるだろう。


木村龍之介氏が、私のことをロレンス修道士になぞらえたことは、最高の褒め言葉だったのである。私のことを、感謝されるべきロレンス修道士として扱ってくれたのである。


過分の褒め言葉を感謝するとともに、英文学会には、ロレンス修道士=悪人説ということを、なにも考えずに主張するバカがいるので、木村氏をはじめ、多くの人たちが心しておくところだろう。


posted by ohashi at 16:55| コメント | 更新情報をチェックする

2019年03月15日

血の日曜日

1972年の「血の日曜日事件」に関して、次のようなニュースがあった。その一部を引用する。

1972年の「血の日曜日事件」、元英兵1人を起訴 北アイルランド

AFPBB News  2019/03/15 13:09

AFP=時事】英領北アイルランドで1972年に発生した英軍によるカトリック系住民の弾圧事件「血の日曜日事件(Bloody Sunday)」をめぐり、同地の検察当局は14日、元英軍兵士1人を殺人罪などで起訴すると発表した。北アイルランド紛争の中でも最悪の流血事件の一つは、47年を経て犯罪として裁かれることとなった。

「血の日曜日事件」は1972130日、北アイルランド第2の都市ロンドンデリー(Londonderry)のカトリック系住民が多いボグサイド(Bogside)地区で、公民権を求めるデモ行進に英軍の空挺隊員が発砲し、13人を殺害した事件。その際の負傷がもとで後に1人が死亡し、死者は14人となった。

 起訴されたのは元英兵で、罪状は殺人2件、殺人未遂4件。しかし、この兵士だけでは、ただのスケープゴート化で終わる可能性もあり、住民は怒っている。しかも、事件後47年というのは長すぎるのだが、地道な捜査と起訴を今後も期待するしかない。


 この事件を広く世界に知らしめたのが、ポール・グリーングラス監督・脚本の『ブラディ・サンデー』(Bloody Sunday)。これは、「血の日曜日事件」(1972年)を扱った、2002年の映画作品である。 グラナダ・テレビジョン(英国のテレビ局)によってテレビ映画として製作。2002116日にサンダンス映画祭でプレミア上映。125日よりロンドンの一部の劇場でも上映された。サンダンス映画祭では観客賞、ベルリン国際映画祭では金熊賞、日本でもDVD化されている。

映画は、セミ・ドキュメンタリーというか再現ドラマ形式の映画で、迫真的再現と演出で圧倒される。ポール・グリーングラスの名前を一躍世界に広めた映画でもあって、この後、グラスはハリウッドに進出するが、実際に起こった事件に取材した映画は監督ならではの得意分野であり、観客もそれを求めている。近年にはウトヤ島事件を扱った、『722日』がある。

ちなみに『ブラディ・サンデー』のなかで発砲した空挺部隊の隊長の役で、ティム・ピゴット=スミスが出演していたことは今も鮮明に覚えている(悪役での登場)。ティム・ピゴット=スミスについては『ヴィクトリア女王 最後の秘密』参照のこと。冥福を祈りたい。

posted by ohashi at 18:49| コメント | 更新情報をチェックする